エラノス瞑想理論の権威武田梵声による神経科学的光の瞑想研究所

P≒E瞑想ホール

P≒E瞑想ホール・ビジネスパフォーマンスコース

◆ビジネスパーソンのビジネススキル、ビジネスパフォーマンスの向上、
◆ビジネスリーダーのパフォーマンス力を高める瞑想!

ビジネスパフォーマンスを高める究極の瞑想オンラインサロンです。ビジネスパフォーマンスを自由自在にするゾーンを超えたゾーンを発動させる超ゾーン=フォスフェン瞑想法、マインドフルネスやヨーガ(ヨガ)を遥かに超えたフォスフェン≒エントプティック瞑想法、世界中のすべての瞑想、すべてのゾーン、すべての変性意識テクニックを研究した世界最高の瞑想理論であるエラノス理論でこれまでにない究極のビジネスパフォーマンスを発動させてゆきます



●ビジネススキル、ビジネスパフォーマンスを高めるための超ゾーン=フォスフェン瞑想

プレゼン、営業、イノベーション、クリエイティビティ、アナロジー、ラテラルシンキング、アブダクションなどの様々なビジネス思考法、、、こうしたビジネススキル、ビジネスパフォーマンスを高めるためには、瞑想やゾーンに入ることが有効なことが、マインドフルネスやチクセントミハイのフロー理論などの流行により、ビジネスパーソンの方々の間でも広まってきているかと存じます。
あるいはドラッカー理論やスティーブン・R・コヴィーの理論、カーネギー理論、近江商人の思想になどにより、ビジネスパーソンのパフォーマンスは以前より遥かにクリエイティビティを高め、舞台芸術や良い意味での演劇性、身体性を持ちつつあります。

90年代くらいまでは、パフォーマンス理論とビジネス書は日本においては一般的なイメージといたしましては、解離した印象だった方が多かったのが、現在では、ビジネスパーソンの方が演劇訓練をし、瞑想をし、ボイトレをし、職業パフォーマー以上のパフォーマンス能力を目指す時代に入りつつあるのです。
しかし残念ながら肝心のパフォーマンスメソードの大半は非常にレベルの低いものなのです。マインドフルネスや従来のメンタルトレーニング、フローやゾーンのトレーニングはレベルの高いものではありません。また、演劇訓練、ボイトレ、プレゼンテーションの訓練は残念ながら絶望的に低レベルなものばかりが世の中に流布しているのです。



●究極のビジネスパフォーマンス能力を発動させる!~エラノス瞑想理論と折口信夫のパフォーマンス理論~

上記で申し上げたように一般に流布しております絶望的にレベルの低い瞑想やパフォーマンスメソードではビジネスパフォーマンスの精度はいつまでも上がることはありません。
では、レベルの高いメソードとは何でしょうか?これは我が研究所が研究してきました、エラノス瞑想理論と折口信夫のパフォーマンス理論です。

エラノス瞑想理論とは世界中のすべての瞑想や変性意識のテクニックを神経科学的に研究し、その究極奥義がフォスフェン≒エントプティックと呼ばれる神経科学的な光であることを発見した世界最高の瞑想理論です。折口信夫のパフォーマンス理論もエラノス理論に多大な影響を与えた理論ですが、概括的に申し上げるならば、すべてのパフォーマンスは、フォスフェン≒エントプティックを発動させた究極レベルの超ゾーン、究極レベルの変性意識状態にならなければ真のパフォーマンスにはならないとする考え方です。
演技、演劇、舞踊、漫才、歌唱、ビジネススキルは瞑想とは関係がないと考える方が一般的には大多数かと存じます。あるいは関係があると考える方でもそれは(瞑想は)補助的なものであり、必須ではないと考える方が大半かと存じます

しかしラディカルなパフォーマンス理論はそのようには考えられておりません。瞑想のない演技は演技ではなく、瞑想のない演劇は演劇ではない。瞑想のない舞踊は脱け殻のよう、瞑想なき漫才は漫才に非ず、瞑想なき歌唱は歌に非ず、瞑想なきビジネスパフォーマンスはビジネスに非ずと考えるのが、パフォーミングアーツにおける最もラディカルな理論と言え、この考え方は世界規模でつい250年前までは当たり前の考え方でした。アジアやアフリカでしたら地域にもよりますが20世紀半ばあたりまでのパフォーマンスでは、当たり前の発想だったかと存じます。 
瞑想、変性意識こそが、ビジネスパフォーマンスの基礎にして根源そして至高なのです。
そして確実に瞑想の究極のレンジ(領域)を発動させ、確実に変性意識の究極のレンジを発動させるのはエラノス理論によるフォスフェン≒エントプティック瞑想(超ゾーン=フォスフェン瞑想)だけなのです。



●ビジネスパフォーマンスと変性意識状態

昨今、古典的な瞑想理論書である
『バガヴァッド・ギーター』や『ウパニシャッド』あるいは『ダンマパダ』、『道徳経』などが欧米などではビジネス書やビジネスリーダーの必読書として注目を浴びております。
また、武術書、兵法書の古典であります宮本武蔵の五輪書などもハーバード・ビジネス・スクールの教科書に採用されるなど、東洋の瞑想やゾーン関連、身体論の書籍が次々にビジネス書として注目を集めているのです。
ただし、これらの書物はあくまでも瞑想やゾーンの実践を通じてはじめて本当の意味で理解出来るものなのです。
専門家を含み、一般に良くある誤解といたしまして、
瞑想やゾーン関連の書物に説かれてきたことは、瞑想を実践することを前提に説かれた境地や状態であるということを理解されていない点があると言えます。
専門家を含み、一般の方の多くはこれらの書物をOSC(日常的意識状態)で理解しようとするから、パラダイムクラッシュ(誤解)が起こるのです。
現代人が古典を学ぶ際にはこうした意識のレンジの違いを考慮することが重要なことは、ラディカルな研究者からは指摘されてきたことです。
『万葉集』一つとりましても、透過性身体と呼ばれる通常の意識状態とは違う意識状態で詠まれていることが、京都学派の身体論の研究者などからは指摘されております。
我々はOSC思考(日常的意識の思考)に偏りのある社会に生き、アルタードステート(変性意識、ASC)を前提に書かれた書物もOSCの枠組みで解釈してしまい、その書物の本来の効果を発揮出来ないでいるのです。

ビジネスも元来のパフォーミングアーツ同様に自然のバランスを整えるような発想が根源に働いていなければならないことは、ビジネスパーソンの聖典の一つとされるドラッカーの理論や日本のビジネスパーソンの原点とされる滋賀県の近江商人の基本的な思想である~三方よし~、インドの経済理論、リーダー論の聖典であるアルタシャーストラ(実利論)などから考えても明らかです。
どのビジネスの聖典とされる書物も社会や自然のバランス、世の中全体のバランスを考えることがビジネスパーソンや商人の基本と考えているのです。
我々は近代化されたことで、自然の一部であることを実感として忘れがちかと存じますが、瞑想はそのことを我々に気付かせてくれる効果があります。

平和ボケしたバイアスのかかった思考からは本質的なビジネスは何一つ生み出すことは出来ません。バイアスを解体することでしか真のビジネスパフォーマンスは生まれないことはスティーブン・R・コヴィーが語ってきたことですが、バイアスやパラダイムを解体する、あるいは自在に移行する技法こそが瞑想なのです。
真のイノーベションもまた瞑想から生まれるものなのです。



●ビジネスに必要な思考はダジャレである!~イノベーションはダジャレから生まれる!~

ビジネス思考の基本もまた、超ゾーン状態の思考にあり、クリエイティビティを高める神経伝達物質であるエンドルフィン、ドパミン、アセチルコリン、アナンダミドなどの放出や前頭葉、側頭葉や海馬などの活性化により、思考の基礎体力は養われてゆきます。エラノス理論では、思考は3段階あると考えられております。アクル、ナクル、カシュフです。簡単に申し上げますとアクル、ナクルは日常的意識すなわちOSCによる思考であり、カシュフはイマジナルな思考すなわちASC(変性意識状態)の思考になるのです。現代はOSC思考、別化性能、科学的思考、エンジニア的思考、栽培された思考、ロジカルシンキング、クルティカルシンキングなどが、主流な社会かと存じますが、思考の土台になるのはむしろASC思考や思考のフロー(ゾーン状態の思考)、アナロジー思考、類化性能、野生の思考なのです。
別化性能や科学的思考に偏りのある思考では、クリエイティビティが枯渇し、結果として社会が上手く機能しなくなることは、折口信夫やクロード・レヴィ=ストロース、ロジェ・カイヨワなどの知の巨人達が説いてきたところです。

思考の土台である思考のフローやアナロジー思考を鍛練する方法は様々あり、詳細は私の著書
『神経科学的光の瞑想~世界最高のエラノス理論で超ゾーンを実現する~』
をご一読頂きたく存じますが、ひとまず、思考の基礎を鍛練する方法といたしまして、ダジャレがあります。

ダジャレは表面上は関係のないように見えるものの共通点を見つけ出し、結びつけてゆくアナロジー思考が強く働いたものですので、ダジャレをたくさん言うことで、思考の土台が鍛えられるのです。ダジャレが思い浮かばない方は予めダジャレをストックして言ってみるのでもひとまず問題ありません。

なぞなぞ、謎掛け、ポエム、民話、神話、などはアナロジー思考が強く働いておりますので、これらに親しむことでもひとまず思考の土台は鍛練されます。そして、当瞑想オンラインサロンで学ばれます超ゾーン状態の思考のフローは更に次元の異なる思考の解放が行われてゆくのです。

P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース

◆世界最高のエラノス理論によるフォスフェン≒エントプティック瞑想と超ゾーンが学べる。
◆総合パフォーマンス理論が学べる。
◆全てのジャンル、全てのパフォーマンスの聖典が学べる世界最高の総合パフォーマンスコース
◆エラノス瞑想理論、フォスフェン≒エントプティック瞑想理論、折口信夫の芸能学、アルトー演劇論、ラバンのエフォート理論、ニューフィジカルエクササイズ、インド哲学、計量民謡学、計量舞踊学、神経科学、認知科学(認知考古学)、民俗学、人類学、先史学、現象学などにより、パフォーマンスの達人の領域を学べる究極のオンラインサロン!

 

●パフォーマンスの3大要素


パフォーマンスとは、芸能と言い換えて頂いても問題ございませんが、
俳優、声優、漫才師、歌手、舞踊家、などの狭義の芸能は元より、ビジネスパーソンのプレゼンや営業におけるビジネススキル、武術やアスリートのゾーンなど多岐に渡ります。しかしあらゆるパフォーマンスに通底する三大要素と呼べるものは、

1、現前性(演技術、舞踊身体論、身体性)、
2、意識のレンジ(変性意識、フロー、ゾーン、瞑想、メンタル、感情解放)、
3、発声(倍音、言葉、エロキューション、フレージング)
となり、これらはそれぞれトレーニング可能です。

一般に多くの方は職業パフォーマーを含め、上記のごく一部しか学習されていない
場合が殆どで、それでもパフォーマンスがある程度上手くいっている方は、経験の中で必要最低限を学習しているケースが多いのです。
しかし大半の方はある一つのパフォーマンス要素を学び、それ以外には無頓着でパフォーマンスを行うため、結果、舞台、ライヴ、プレゼンが上手くゆかないのです。 そして、全てのパフォーマンス要素を聖典レベルの理論で学習出来るのは世界中で唯一我々のオンラインサロンのみなのです。


●パフォーマンスの5大聖典

パフォーマンスの聖典と呼べるものがあります。

演劇論、演技術ではアルトー演劇論
舞踊、身体論ではラバンのエフォート理論
瞑想理論ではエラノス瞑想理論
発声学(ボイトレ)ではフースラーメソード
総合芸能学では折口信夫の芸能学(芸能史)
がそれに相当いたします。

アルトー演劇論では、身体バランスの脈動をトレーニングすることで、フォスフェンやエントプティックを発動させ、神経伝達物質を放出させ、身体性、現前性を発動させます、ラバンのエフォート理論では、未使用エフォートをトレーニングすることで、身体性のレンジを拡張し、ボディスキーマやボディイメージが鍛錬されてゆきます。

エラノス瞑想理論では神経科学的な光であるフォスフェン≒エントプティックの発動により、意識のレンジ、心身のレンジの至高領域を発動させ、OSC(日常的意識状態)からASC(変化意識状態)までを自由自在に移行出来るように鍛練されてゆき、フースラーメソードではアンザッツにより自在な声と倍音力を習得し、折口信夫の芸能学では、地球上のすべての芸能に通底する究極のパフォーマンスセンスを学ぶことが出来るのです。

一般に流布しているパフォーマンスのメソードの多くは残念ながら大変レベルが低いのです。劇団や芸能プロダクション、演劇大学、演劇専門学校、声優プロダクション、音大、音楽専門学校、等々、基本的には売れなくなった俳優や歌手の方が指導しているケースが殆どで、指導スタイルは基本的には個人的感想レベルが99%です。

また、パフォーマンスメソードを学んでいる指導者も稀におりますが、世に流布したメソードの多くは19世紀の西洋の考え方を基本にしたメソードが殆どであり、アジアやアフリカのパフォーマンスの特性が取り入れられてきている昨今の大衆芸能や幅広いパフォーマンスに対応出来る力はまったくないのです。

演劇であればスタニスラフスキーシステムやメソッドアクティング、舞踊であればワガノワ・メソッド、ボイトレであればガルシア系やハリウッド系などはどれも何か一つの狭いパフォーマンスモラルセンスを基準に作られているため、身体性のレンジ、現前性のレンジ、意識のレンジ、発声のレンジを拡張してゆく効果は殆どなく、むしろ固着させてゆく傾向すらあります。

それは昨今のフォスフェン≒エントプティックの発動法を喪失したマインドフルネスやヨーガ(ヨガ)、メンタルトレーニングにおけるフローやゾーンも同様なのです。


99%の俳優や声優は演技術を学んだことがない!実は殆どの方はパフォーマンスを学習したことがない!

演劇学校、声優学校、プロダクション、漫才学校などでは、パフォーマンスを総合的に学ぶのではないか?
実際、俳優や声優は演技術、身体訓練、感情解放訓練、発声訓練を学んだつもりの方は多いはずです。
ただ、99%の俳優、声優はパフォーマンスメソードを学んでおりません!
職業俳優でパフォーマンスが成立している方は元々あった能力と経験から学んでいる場合が殆どなのです。
演劇学校、声優学校、プロダクションの訓練の99%は役に立つはずがないのです。なぜなら非科学的なメソードか、個人的感想による演技指導、身体指導、発声指導だからです。
従ってまともな演技メソードを学んだ経験のある俳優や声優がそもそも存在していないのです。

彼らの演技力や現前性は元々の能力または経験の中から習得してきたものなのです。しかしそれだけでは不十分なのです。経験の中から学べるものだけでマテリアルの全ての力を引き出すことの出来る方はごく少数です。

従って真の演技術を学んでいない多くの俳優や声優にはまだまだ眠っている潜在能力があるのです。それは世間から一流と呼ばれている俳優や声優も含めてです。


パフォーマンス理論の聖典はP≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコースでしか学ぶことが出来ない!

一般に流布しております有名なパフォーマンスメソードの99%は残念ながらパフォーマンスを固着させるだけで、自在性の解放はあり得ないでしょう。

有名なパフォーマンスメソードとは演劇論、演技術では、スタニスラフスキーシステムやメソッドアクティング、舞踊メソードでは、ワガノワメソッド、瞑想法では、マインドフルネスやヨーガ(ヨガ)、ヴィパッサナー、ボイトレでは、SLSやハリウッド系、ガルシア系などの19世紀型メソードが相当いたしますが、これらが学問的に、科学的に役に立たない、あるいは効果が薄い、あるいは最高峰ではないことは申し上げてきた通りです。

パフォーマンスの達人が知る真のパフォーマンス聖典は、
演技術、演劇論、現前論においてはアルトー演劇論であり、舞踊論、身体論ではラバンのエフォートであり、瞑想理論ではエラノス瞑想理論やフォスフェン≒エントプティック理論であり、ボイトレではフースラーメソードが相当いたします。

これらのメソードは少なくとも人類の分節言語獲得前後からの35万年以上の歴史に顕れたすべてのパフォーマンスに対応出来る射程を持っており、アジア、アフリカ、オセアニア、世界各地の先住民のパフォーマンス、古代芸能、先史芸能までに対応可能なパフォーマンスメソードです。一般に流布しているものは近代基準、欧米基準、あるいは特定のモラルセンスを基準に作られているため、意識のレンジを固着させ、身体を固着させ、声を固着させてゆくのです。それはかえってパフォーマンスを不自由にしてしまいます。

当P≒E瞑想ホール総合パフォーマンス研究所の総帥である武田梵声は、聖典レベルのパフォーマンス理論を専門機関ですべて修めてきており、パフォーマンス理論の五大聖典による総合パフォーマンス教育を可能とする、世界唯一の総合パフォーマンス指導者です。

また、パフォーマンスメソードは総合的に行うことでしか、真の効果を発揮するのは難しいのです。単体で効果をあげるのは原則不可能です。なぜならパフォーマンス自体が総合的なものだからです。武田梵声のすべての書籍を改めて思い出してみてください。武田梵声の書籍は常に総合パフォーマンス的な内容で描かれていたはずです。
それを読み飛ばし、ご自身の興味関心のある内容のみ拝読なさっている段階では、パフォーマンスを習得してゆくのは難しいのです。


パフォーマンスメソードは単体では意味がない!?総合的にパフォーマンスを学ぶ必要性。

あらゆるパフォーマンスはそもそも総合的なものです。声優は声とエロキューションと倍音構成の変化能力だけを学んだだけでは、三流以下の声優しか生まれてこない可能性が高いでしょう。舞踊家やアスリートが意識のレンジを鍛練しないのもやはり身体のレンジを十分に発揮させることが出来ません。それは身体能力や表情を含めて脳内の神経伝達物質が大きく関わるからです。確かに舞踊単体、運動単体、発声単体でも脳や身体に働きかけ、身体、現前、意識のレンジ、ボディスキーマ、ボディイメージは鍛練されてゆきます。

しかし総合的な視点のない学習者はサイトシーイング化いたします。サイトシーイングとは観光の意味であり、ユング派の心理学者のテクニカルタームです。

要するに何となく旅行に行かれましても、その旅先で見たはずの文化、景色を使える経験として捉えられていない場合は多いかと存じます。

すなわちそのような価値ある現象が身体や現前、意識のレンジに発生しても気付かずに素通りしてしまうのです。あるいは指導者が指摘したとしましても、そもそもパフォーマンス要素の興味関心に偏りのある方の場合は、それを上手く認識することが出来ず過剰学習(反復訓練)することが出来ないのです。

従いまして、如何なるパフォーマンス学習にせよ、パフォーマンス三大要素に常に興味関心を寄せて鍛練する必要があるのです。それは人の構造、神経システムの構造から考えて当たり前かと存じますが、この当たり前のことが出来ている方が殆どいらっしゃらないのです。


●巷にいる聖典レベルのパフォーマンス理論をかじった程度の指導者の問題点。

ラバンのエフォートやフースラーメソードを行っている指導者は稀に見受けられるかと存じますが、残念ながらこれらの99%の方は十分な指導が出来ておりません。
先ず、ラバンのエフォート理論やフースラー発声学も様々なパフォーマンスを知らなければ指導出来ません。
それもアジア、アフリカ、オセアニア、全世界の先住民のパフォーマンス、古代芸能、先史芸能まで知らなければ指導することは、出来ません。しかし巷の指導者達はその表面的な形だけを教えております。

また、誤解している方もおりますが、フースラーメソードとは私がフースラーの理論の正しい解釈をして広めたものであり、武田梵声が著書を発表する前までは、発声配置的な解釈で世の中はフースラーを解釈し、まったく価値のないものになっていたのです。ですが、いまだに巷では表面的な解釈が殆どであり、中には現在のフースラーメソードの中興の祖が、武田梵声であることを忘れている、ものごとを理解する能力があまりに低レベルな方も見受けられるかと存じます。

ラバンのエフォートに関しましてもその発展型であるコレオメトリクスを射程に入れなければ、その効果を十分に発揮することが出来ないことは、武田梵声が『野生の声音~人はなぜ歌い踊るのか?~』や『ゴルジャメソード』の中で説いてきたことです。
表面的な料理論だけかじった方が、まともな料理を殆ど食べたことがない状態で食の専門家を名乗るのは極めて愚かなことです。世界全体のパフォーマンスを知らない方は断じて指導者を名乗るべきではないのです。


●巷のパフォーマンス指導者、すなわち演技指導者、舞踊指導者、漫才指導者、発声指導者、歌唱指導者、瞑想指導者の99%が問題だらけな理由!

巷のパフォーマンス指導者の99%は残念ながら絶望的なレベルで指導者として問題のある方が大半かと存じます。なぜこのような問題だらけの指導者が雨後の筍のごとくあらわれてくる状況が続いているのでしょうか?

先ず第一に大半のパフォーマンス指導者は瞑想を除き、元々は俳優志望、声優志望、歌手志望、漫才師志望で、一度は有名なプロダクション、有名な劇団、有名なレコード会社に所属が決まりプロのパフォーマーとしての道を歩みはじめますが、残念ながら仕事がなかなかこない状況が続き、そんな時にプロダクションや劇団の指導者の仕事の誘いがあり、そのまま指導者になってゆくケースが多いかと存じます。ただし、彼らの大半はパフォーマンスを習った経験は少なく、経験の中で身に付けたケースが大半のため、残念ながら指導法を知らないのです。指導法を知らないならば、個人的な感想を述べてゆくしかございません。これがパフォーマンス指導者の大半です。

また、これではまずいと指導法を学び直した指導者の大半も巷に広まっているパフォーマンスメソードがメソードとして低レベルな19世紀的な量産型の思考から生まれた方法が大半のため、それらの指導法を学んでも固着したようなマテリアルのパフォーマーしか生み出すことが出来ないのです。

瞑想指導者におきましてもマインドフルネスやヨーガ(ヨガ)に偏りがあるため、瞑想、意識のレンジの全体像が捉えられていない指導者が大半かと存じます。
瞑想は本質的には全てフォスフェン≒エントプティックを基礎にするものですが、現在のマインドフルネスやヨーガ(ヨガ)はその領域を殆ど喪失しております。
また、マインドフルネスやヨーガ(ヨガ)は瞑想の源泉ではなく、枝葉であり、瞑想や身体レンジの全体を捉えてゆくだけの力はありません。
本来のヨーガ(ヨガ)やタントラは元々瞑想の地下水脈と密接な関係性を持ったものでした。その地下水脈、瞑想の根こそフォスフェン≒エントプティックなのです。そしてフォスフェン≒エントプティックが最も強力に発動するのは従来の瞑想では、コウマネクやキアですが、エラノス瞑想理論、神経科学、認知科学によりアップデートされたフォスフェン≒エントプティックの至高状態であるアルティメットステージはその更に先をゆきます。旧石器時代の瞑想こそが圧倒的に史上最強なのです。そこを捉えることの出来ない指導者は指導者としてまだまだ伸び代があると申し上げていいでしょう。


身体性だけが足りない、発声だけが足りない、現前性だけが足りない、感情解放訓練だけが足りないは嘘!
全てのパフォーマンス要素が足りないパフォーマーが99%の理由!


よく皆様は、
「僕はメンタルや感情解放がいまいちでして、、、」
「僕は存在感がなくて、、、」
「僕は身体性がいまいちで、、、」
「僕は発声がいまいちで、、、」

とパフォーマンスが上手くゆかない原因を一つのパフォーマンス要素に限定しがちですが、真実は違います。真実は現前性も、身体性も、発声も、意識のレンジもまったく足りていない場合が大半です。上記はたまたま身体論に興味が持てた。演技術に興味が持てた。ボイトレに興味が持てた、瞑想に興味が持てたといったところなのです。

パフォーマンスの一要素に興味を持つことはもちろん最初のステップとしては悪くはないのですが、本来パフォーマンスは総合的なものですから一要素だけ鍛練をしたといたしましてもパフォーマンスとしては成立しない場合が大半です。

先ずはパフォーマンスの三大要素
現前性(演技術、舞踊身体論)、発声、
意識のレンジ(瞑想、メンタルトレーニング、感情解放)に興味を持つことです。そしてパフォーマンス五大メソードを学ぶことです。そしてそれを世界最高レベルで指導出来るのは、当オンラインサロンのみかと存じます。

P≒E声優コース

◆演技術、演劇論、身体論、発声学、変性意識術(瞑想、ゾーン、フロー)などの声優に必要な全てのパフォーマンス要素が各聖典レベルのメソードで学べる究極の声優コース!


●声優の演技術の聖典とは?

皆さんもご存知のように、声優と俳優は本来一つのものです。一流の声優でしたら、一流の俳優でもあるというのは自明なことかと存じますが、声優や俳優が学ぶべきことは多岐にわたります。

まず演技術や演劇論では、アントナン・アルトーやグロトフスキ、メイエルホリド、ゴードン・クレイグなどの理論が必須です。アルトーを中心とした不条理演劇、オルタナティブ演劇、アングラ演劇でバイブルとされてきた演劇論、身体論はアフリカやアジアの演劇にも対応出来るだけの身体や意識のレンジを解放させる効果が神経科学的にも確認されております。

一方、いわゆる有名なスタニスラフスキーシステムやリー・ストラスバーグのメソッド・アクティングなどは、リアリズム演劇などの欧米的な価値観のほんの一部の領域にしか対応できないものであり、アジアやアフリカのパフォーマンスの価値を取り入れだした昨今の演劇、インターカルチュラル演劇、あるいはポストコロニアル演劇、オルタナティブ演劇などのパフォーマンスにはまったく役に立ちません。ただし、スタニスラフスキーも前期と後期で考え方が異なります、後期は身体論的になり、アルトーやメイエルホリド、ゴードン・クレイグなどの考え方に近くなります。


●リチュアリスト的演劇

演技術、演劇論の究極の領域に近づいた理論家は基本的にはリチュアリストであると考えてよいでしょう。

ゲオルグ フックス、ゴードン・クレイグ、メイエルホリド、アルトー、ピーターブルック、グロトフスキ、バルバ

上記のような演劇理論家は、リチュアリストすなわち変性意識および変容した身体により、ディドロ的な演技術を遥かに超えた身心のアスリートになることを目指し、戯曲を解体し、より根源的なマラルメが目指したような祝祭的演劇の領域への回帰、エレウシスの秘儀やディオニュソス、タラウマラ、バロン劇、テイヤムのような領域の発動を目指したのです。

20世紀に演技術、演劇論として発想された彼らの技法の多くは、ラディカルな領域を発動させることに成功した例はあるものの感覚的なものが殆んどであり、確実に俳優をその領域に導くことの出来るものではありませんでしたが、アルトーが捉えたグノーシスの身体性の領域やグロトフスキが捉えていたようなサトルボディ、セネストパチー、ダンバラー発動などもエラノス理論による神経科学的なテクニックにより誰でも確実に発動させることが可能になったのです。
すなわち全ての声優学習者、俳優学習者がかつてのディドロ的な典型表現型や役の上に型、非感動型と呼ばれた領域を遥かに超えた自在な身心の状態を獲得し、あらゆる演劇様式、演技様式に対応可能な身心のレンジの拡張が行われるのです。もちろんそれはアバンギャルドはもとより、第三世界の演劇や民俗芸能、古代の演劇、古代芸能、先史芸能にまでにも対応可能な自由自在な身心のレンジの発動です。


●声優の身体論の聖典とは?

身体訓練、身体論に関しましては、やはり演劇の身体論としてもメルロポンティの『知覚の現象学』はバイブル的な存在でした。鈴木忠志や竹内敏晴のメソッドなどの根底には、ニューフィジカルエクササイズと共にメルロポンティの身体論がありました。あるいは唐十郎の特権的肉体論やデルサルト・メソッド 、エフォート理論、ビオメハニカ、ブレヒトの異化効果、土方巽の~踏む~身体論など様々な身体論が登場しました。

これらを俳優の身体メソッドとして改めて総合的に捉えてゆくことで、我々は零の身体、身体のゼロポイントとも呼べるあらゆる演劇パフォーマンスに対応できる自在な身体性を獲得してゆくことが出来ます。こうした20世紀の演劇、身体論が理想としたのがアジアやアフリカの身体性でした。日本の伝統演劇における能楽の摺り足、歌舞伎の六方や民俗芸能、民俗舞踊における足腰、肚、上虚下実、自然体、アフリカの頭頸身体性、ポリセントリック、マルチプリケーション、京劇、崑曲における対立の技法、その他インドのカタカリやクーリヤッタム、インドネシアのガンブーやレゴン、アルジャ、タイのコーン、イランのルホズィなどが理想的な身体性あるいは身体の可能性を拡張させるものとして捉えられてゆきました。


●アルトーの演劇論とメルロポンティの知覚の現象学、身体論と

私はアルトーの演劇論を修めておりますが、メルロポンティやフッサールの現象学や身体論も専門的に学んできました。私のインド哲学の師匠はインド芸能論においても世界最高水準の方でしたが、師の学問の基礎にはメルロポンティやフッサールの現象学がありました。私は演劇論を極めるために師からメルロポンティの身体論についても薫陶を受けました。メルロポンティの身体論は、演劇界においてアルトーの残酷演劇論とならび、バイブルとされておりましたが、なかでも『知覚の現象学』は知らなければ演劇界ではモグリとされるような書物です。
昨今は神経科学的にも明らかになってきております身体図式(ボディスキーマ)
の理論を演劇論として広めるきっかけを作ったのもメルロポンティによるものです。

演劇界では、近代的な演劇のパラダイムを解体させるために様々な身体性を参考にしてきました。ファルス、コメディアデラルテ、エリザベス朝演劇、コメディア、フランス古典主義演劇、サーカス、フリークショー、カタカリ、クーリヤッタム、オリッシー、カタック、マニプリ、バラタナティヤム、崑曲、京劇、バロン劇、能楽、歌舞伎、世界各地のリチュアル、民俗的身体技法等々、これらから原初的身体性を捉え、身体図式の拡張を図ったのです。

また、何よりも我々にはメルロポンティの現象学の奥義がすでにあるのです。それは、エラノス理論の中にそもそも存在しております。メダルト・ボスの現存在分析です。
現存在分析とはメルロポンティの現象学の発展型ともされておりました。その最高の理論家であったメダルト・ボスもまたエラノスの中心的なメンバーでした。



●身体図式(ボディスキーマ)について

身体図式(ボディスキーマ)は生理学や心理学の分野において、ヘンリーヘッド、ゴードンホームズ、アンリヴァロン、あるいはパウルシルダーのボディイメージ論に補完されるなどの研究が行われてきました。演劇の世界では、主にメルロポンティの身体論を経由して広まりました。身体図式とは所作、身体性、身体感覚の無意識のレベルを司るものであり、主に神経科学的な研究から頭頂葉がその機能を司るとされております。また、前頭葉や頭頂葉にあるとされるミラーシステムもまたこの身体図式を補う役割をしていることが示唆されております。

ざっくりと申し上げるならば、俳優や声優における身体性の訓練、肉体訓練、あるいはニューフィジカルエクササイズなどのボディワークはこの身体図式の拡張にあると言えます。一般の方の身体をそのまま舞台にあげて作品になるのかといいますと、中々難しい方が殆どかと存じます。一方で、一般的な方の身体をそのまま舞台にあげて作品化する演劇やパフォーマンスも多々あり、そういったものを引き合いに身体訓練など必要ないという主張をする方もおりますが、基本的にはそうした作品の中でたまたま相性のよいものがあり、活動出来れば問題ないのですが、十分に解放されていない身体では、表現可能なジャンルの幅は狭まります。身体訓練とは身体図式を拡張させ、あらゆる身体のレンジ、身心のレンジを発動させ様々なパフォーマンスに対応出来るようにするものなのです。


●声優に瞑想が必須の理由

声優や俳優に瞑想は必須です。パフォーマンスは本質的には瞑想と即で結ばれるものです。
昨今流行りの認識といたしまして俳優やビジネスパーソンが集中力を上げるために瞑想をするという認識も厳密には、間違いです。 
この程度の認識では瞑想を行うのは個人の判断という印象かと存じますが、本質的にパフォーマンスと瞑想は一つのものであると申し上げているのです。これはエルカブルギニョンやマーガレットミードにより科学的にも解明されております。エルカブルギニョンは世界最高レベルのパフォーマンスの達人、演技や舞踊の達人たちを研究し、その90%以上が瞑想の達人であり、瞑想とパフォーマンスを一つに捉えていることを発見しました。
また、20世紀のラディカルな演劇人の殆どはリチュアリストであり、演劇の基本、パフォーマンスの基本を瞑想として捉えているのです。おそらくは皆さんの周りにはこのレベルのラディカルな俳優や声優は殆ど、いらっしゃらないかと存じますが、演劇やパフォーマンスをラディカルに研究するのであればこれらはあまりにも当たり前の事実です。従いましてラディカルに考えるならば、瞑想無き演劇、瞑想無き俳優、瞑想無き声優は本来あり得ないことなのです。



●声優のボイトレの聖典とは?

声優の発声や滑舌法に関しましては、昨今の世の中で一般的に流布しておりますガルシア型のメソッドやその派生型は全く役に立ちません、古くは聖なる怪物、黄金の声と称されたフランスの女優サラ・ベルナールなどによりその重要性が強調され、千田 是也などにより体系化された物言う術なども本質的には19世紀的なボイストレーニング(ボイトレ)の発想を基礎としており、ほとんど役に立ちません。

要するに世の中の99%の発声法、ボイトレ、滑舌法は役に立たないということです。

発声、滑舌に関してはフースラーメソードあるいはゴルジャメソードがバイブルになります。

滑舌法も20世紀の前半までは、構音筋を鍛練すれば改善されると考えられていましたが、20世紀半ば以降、どうやら言葉も喉の内外の筋肉が根本であり、そこから鍛えないと根治しないことが科学的にもわかったわけですが、未だに20世紀前半以前の滑舌法が声優や俳優の養成所では行われているのです。

倍音構成の変化(音色の変化)に関しましてもフースラーメソードは喉頭懸垂機構と呼ばれる喉を懸垂する筋肉を鍛練することで、ほとんど無限の倍音構成の変化を獲得することが出来るのです。

また、無限の倍音構成の変化により喉頭懸垂機構が鍛錬されてゆきますと弾性的足場枠、ゲルストゥと呼ばれる機能が解放され、それは喉の内外の筋肉の解放と神経支配を回復させてゆき、オリジナルネイチャーと呼ばれる究極の領域が解放されるのです。

かつてグロトフスキやアルトーなどの演劇人も原初声楽の構造化を模索しました。
それはフルクサスなどの様々なアバンギャルドの運動やアーサー・ヤノフの原初療法、トランスパーソナル心理学、民謡復興運動、ジェンダー論などとも関連し、インタージェクション、オノマトペ、拡張発声、特殊発声などの領域により原初の声、原初の身体、古代的心性をも蘇らせようとしたのです。


●声優パフォーマンスのための5大聖典

他のコースの解説でも申し上げておりますが、スタニスラフスキーシステムやメソッドアクティング、瞑想法におけます、マインドフルネスやヨーガ(ヨガ)、ヴィパッサナー。ガルシア系などの19世紀型メソードあるいはSLSやハリウッド系のボイトレなどは学問的に考えて、科学的に考えて役に立たない、あるいは効果が薄いこと、瞑想などでは形骸化したものが多いことは繰り返し申し上げてきました。

声優パフォーマンスの聖典は、演技術、演劇論、現前論においてはアルトー演劇論であり、舞踊論、身体論ではラバンのエフォート論やコレオメトリクスであり、瞑想理論ではエラノス瞑想理論やフォスフェン≒エントプティック理論であり、ボイトレではフースラーメソードやゴルジャメソードであり、変性意識術やリチュアルを基礎にした総合パフォーマンス理論としては折口古代芸能学(芸能史)が至高の芸能聖典なのです。

これらのパフォーマンスメソードは人類史上至高の領域にあったと考えられております旧石器時代人のパフォーマンスや瞑想を基礎に発想されたメソードであり、旧石器時代人はポールニューハムなどが示唆したようにパフォーマンス(あるいは日常レベルにおきましても)に使用される意識のレンジ、倍音構成のレンジ、身体性のレンジ、現前性のレンジが現代人とは比較にならないレベルで広く、また自在であったことが解っているのです。それは昨今のエラノス理論を取り入れた認知考古学により殆ど証明されたと申し上げて良いでしょう。
至高の声優、至高の怪優になるために5大パフォーマンス聖典を鍛錬なさる必要があるのです。

P≒E演技身体論コース~現前性、身体性、演劇学、演技術~

◆世界最高の演技身体論、アルトー演劇論、ラバンのエフォート理論、身体図式(ボディスキーマ)、現象学的身体論、グノーシス的身体性を実践的に学べる世界最高の演劇、演技、身体論コース


●演技を学んだことのない俳優

劇団や演劇学校で演技を学んだと思っている方は多いかと存じますが、総合パフォーマンスコースや声優コースの解説でも申し上げておりますが、一般に劇団や演劇学校では演技理論や演技メソードを熟知している指導者は殆どおりませんので、基本的には経験のなかで身に付けた程度にしか学べていない場合が多いのです。また、演技メソードを体系的に学んできた指導者も稀におりますが、その大半はスタニスラフスキーシステムやマイケルチェーホフ、リー・ストラスバーグのメソード演技といった、いわゆるリアリズム演劇的な枠組みのメソードが殆どであり、これは西洋19世紀的なパラダイムとその派生型程度にしか役に立たないものであり、俳優の身心を十分に解放出来るものではないのです。


●演技術には大きく2つの流れがある?

演技術には一般的には大きく2つの流れがあるとされてきており、この2つの演技の流れにつきましては、18世紀のディドロやスタニスラフスキー、ブレヒトなどが引き合いに出されながら歴史上何度も討論されてきております。

これはいわゆる没入なりきり型、感情同化型や、役の中に型と呼ばれている演技に没入する型なのか?

あるいは典型表現型、非感動型、役の上に型などと呼ばれる客体化して演技をする型なのか?の対立になり、ディドロなどは典型表現型あるいは非感動型などを演技術としての理想と考え、客体化する派でした。

また、異化効果で知られておりますブレヒトも客体化派であり、東洋演劇にも客体化の技法があることが指摘されております。京劇の達人である梅蘭芳もまた、こうした客体化の演技術の達人でした。

世阿弥の目前心後や離見の見などもこうした技法であり、一般に没入なりきり型と考えられております世界各地のシャーマニズムも典型表現型で行われている可能性がユング派の心理学者などから指摘されております。

演劇論におきまして、最終的にはアルトー理論の流れからシャーマニックステーツのような身心の操作にこそ俳優術の極意があることが示されてきました。

すなわち様々な身心のレンジへの移行を自在にする態です。基本的には古代の瞑想者や古代のパフォーマーの身心のレンジは現代人とは比較にならないほど拡張されていたことが神経科学や認知考古学により解ってきております。また、様々な演技形態やモラルセンスが存在している現代においては、ある演劇においては典型表現型、非感動型、役の上に型が良いとされても、別のジャンルの演劇においては典型表現型、非感動型、役の上に型が否定される場合もあるのです。また、身心のレンジはこの2つの型以外にも厳密には無数の型、パターンが存在しております。アルトーの演劇理論は当時は思想段階であり、システム化、実践段階になっていないとされていましたが、後のグロトフスキ以降の流れの中でその意識変容、身体変容の演劇論が実践にも活かされるようになってきました。アルトーが理想としたものはグノーシス的な身体です。そしてその領域の究極形態こそがグノーシスを徹底的に研究してきたエラノス理論なのです。


●イッルドテンプスを基礎にした演劇

最大の演劇理論家とされておりますアルトーは、イッルドテンプスのビジョンを演劇の基礎に考えておりました。ここでのイッルドテンプスとは、全てのリチュアルの根幹にはイッルドテンプスがあるとしたエラノスの基礎理論のことです。
アルトーが影響を受けたバリ島の演劇やタラウマラの芸能、エレウシスの秘儀の中には古代芸能の秘密が内在されていました。アルトーは、これらを交錯させてゆく中でイッルドテンプスの根源性を実感していったのです。

イッルドテンプスのビジョンを捉えることで身心のレンジを自在にしていたバリ島の演劇やタラウマラの芸能、エレウシスの秘儀の奥義は、神経科学的に見るならば、誰にでも発動可能なものです。

フォスフェンエント≒プティックの精度を高めた先にこのビジョンの発動もあるのです。そしてこの領域までフォスフェン≒エントプティックの精度を高めれば、強力に神経伝達物質は放出されて、より自由自在な身心、アルトーが身心のアスリートと呼ぶ、究極の俳優の身体が発動してくるのです。


●俳優訓練の聖典

俳優訓練の聖典は基本的には声優訓練と変わらないかと存じます。そもそもこの2つの職業は根源的には同じものだからです。もちろん根源的にと申すならば、舞踊家なども含まれてくるかと存じますが、、、。

俳優と舞踊家は古代においては、原初のマイムと呼ばれる領域のパフォーマンスを行っており、俳優と舞踊家は古代芸能においては即で結ばれ、殆ど同じものだったのです。

俳優訓練に必要なものは現前性の訓練、身体性の訓練、意識のレンジの訓練、音声訓練、更に律動訓練、時の訓練が重要かと存じます。声優にも律動訓練、時の訓練はもちろん重要です。アルトー的な発想を準備した演劇理論家には、ゴードン・クレイグやゲオルクフックスがおりますが、ゲオルクフックスが俳優の根源的な法則として律動性、時の感覚を挙げております。

そして当時の西洋演劇界にこの時の感覚の達人として知られたのが、川上音二郎と川上 貞奴でした。川上音二郎は壮士芝居、書生芝居、壮士節、書生節、あるいは俄などの達人でしたので、現在の演劇、漫才、流行歌謡、J-POPなどのあらゆる大衆芸能の基本があると言えます。

現前性とは存在感ですが、この最高の状態はアルトー演劇論の流れからはサン・マルコ大聖堂のサロメとされております。

また、身体性においてはラバンはグライドやフロートの中に究極のエフォートを実感しておりました。あるいはドゥクルーが不安定なバランスで寛ぐのが俳優や舞踊家の奥義と語ったのも身体性や現前性における究極形態の一つでしょう。これらは結局のところ神経科学的に解釈するならば、このようなポーズや身体訓練、現前訓練により神経伝達物質が分泌されてゆき、それが極まることでフォスフェン≒エントプティック
の発動、更にはセネストパチーやサトルボディの発動が起こります。グロトフスキはセネストパチー発動の達人であり、かつての浅草十二階の達人である辻 潤もセネストパチーの達人でした。またこれによりボディスキーマやボディイメージあるいは頭頂葉が鍛錬されてゆきますと抜本的な身体性の解放、現前性の解放が起こってゆくのです。

俳優とは無限の身心のレンジを自在に移行出来る存在に他なりません。

音声訓練は倍音構成や倍音構成の変化、滑舌法の根源となるプライマリーバウエルズの発動は元より、俳優はエロキューションが巧みでなくてはなりません。エロキューションを鍛錬するには、アフリカのグリオの芸能のようにスピーチモード、レシテーションモード、ソングモードの鍛錬を行う
ことが重要です。演劇がスピーチモードに偏ったのは近代に入ってからであり、エリザベス朝演劇においても、元来はスピーチモードのみならずレシテーションモードやソングモードが混在しておりました。世界各地の演劇は基本的にはスピーチモード以外のモードが巧みに使用されているわけですから、これらを鍛錬するのが基本になるのです。スピーチモードは演劇やパフォーマンス、あるいはレトリケの歴史や構造から見るならば明らかに応用なのです。

そして、意識のレンジ、身体性のレンジ、現前性のレンジ、音声のレンジはパフォーマンスで使用する領域のみを鍛錬するのではないのです。全ての領域を鍛錬することで、はじめて目的とする領域も真に活力を得て、自在なパフォーマンスとなるのです。

そして人類史上至高のパフォーマンスで知られる旧石器時代人のパフォーマンスを分析するならば、我々の中に眠っておりますパフォーマンスのレンジの広さは、おそらくは皆さんが想像するより遥かに広大な領域なのです。

この広大な意識のレンジ、広大な身体性のレンジ、広大な現前性のレンジ、広大な倍音のレンジを自由自在に泳ぎ、移行出来る存在こそが、俳優であり、真の怪優なのです。

團徳麿や上山 草人のような達人は現代人の中においては、俳優や怪優の究極の領域に最も近づいた存在です。また、七剣聖と呼ばれた嵐寛寿郎や阪東妻三郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫、月形龍之介、大河内傳次郎、市川右太衛門などの剣戟映画のスターや尾上 松之助などの初期の剣戟俳優の現前レベルもここ120年ほどのパフォーマンスの中では最高水準の達人であったかと存じます。


●俳優、ワザオギの本義とは?

俳優とは古くはワザオギと申しますが、ワザオギとは身体性巧みなポゼッション技法を指します。すなわち身体性巧みなポゼッションの達人をワザオギと呼んだわけです。

ポゼッション技法とは、そもそも瞑想により鍛錬されるものです。先住民の瞑想やシャーマニズムでは過換気呼吸によりこのポゼッションを発動させてゆきますが、
他にも激しいしゃっくり、痙攣、足踏み、オノマトペ、インタージェクション、スピーキングインタングスなどによってもあるいはその組み合わせでもポゼッションの領域、ワザオギの領域は発動してゆきます。

あるいはエクスタシー型の発動が起こる場合もありますが、シャーマニックステーツとはこれら様々な意識のレンジ、身体のレンジ、現前性のレンジを自在に移行出来るように鍛錬してゆくのです。

このようなシャーマニックステーツを発動出来ている俳優は現代ではかなり少なくなりました。また、没入なりきり型をシャーマニックステーツと誤解されている方もおりますが、違います。シャーマニックステーツとは意識のレンジが固着しない自由自在な身心の発動を意味するのです。

そしてこの至高の領域を確実に発動させることの出来る唯一の方法こそフォスフェン≒エントプティック瞑想なのです。

これを基礎、あるいは究極奥義としながら、アルトーの現前性の術やラバンのエフォート、フースラーメソードによるオリジナルネイチャーの発動を行ってゆくことで、あらゆる演劇パフォーマンスを自由自在に演じることの出来る、完全無欠の至高の俳優すなわちグロトフスキが言うような聖なる俳優の領域、あるいはそれ以上の領域が発動してゆくのです、、、。

グロトフスキもまた、アジア演劇の達人が変性意識の達人でもあることに気付き、この聖なる俳優の領域やあるいは、聖なる演出家の領域を発想したのです。
俳優やパフォーマンスのその至高領域は古代と未来とが交錯する領域にあるのです。

P≒Eフースラーメソードコース(P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコースとのセットでの受講となります。P≒Eフースラーメソードコースのみの受講は致しかねます。)

◆発声学、ボイストレーニング(ボイトレ)の聖典とされたフースラー発声学が学べる世界最高の発声訓練コース
◆フースラーメソード総本山総帥にして、フースラーメソードの最高権威によるP≒Eフースラーメソードコース


●世界最高のボイトレを総合パフォーマンス化させる。

私の著書、『ボーカリストのためのフースラーメソード』(リットーミュージック刊)
『フースラーメソード入門』(日本実業出版社)により、フースラーメソードがいわゆるボイトレ業界でブームになり、現在はその頃に比べ、落ち着いた状態ではあるかと存じますが、2000年代以前のフースラー発声学がアカデミズムレベルでしか知られていないような状況とは明らかに違ってきているようです。

私の著書のブーム以降、フースラーメソードの指導者が雨後の筍のごとく顕れておりますが、

フースラーメソードを単なるランペルティ的な発声配置ではなく、倍音構成やレジスター訓練による懸垂機構活性化の術であるという、本来のフースラーメソードの在りかたを再発見し、世に広めたのは私であり、私が著書を記さなければフースラーメソードはいまでも発声配置的な役に立たない解釈をされていた可能性は大いにあったかと存じます。

一般的にフースラーメソードを志望する方は基本的には通常のボイトレ志望者よりも遥かに技芸に対する意識は高いのですが、やはり問題は山積みだと思っております。

かつての19世紀型のメソードというのは腹式呼吸や正しい姿勢といった発声学的にはほとんど役に立たないことを指導しており、フースラーメソードやゴルジャメソード、オールドイタリアンスクールメソードあるいはチェザリーやリードなどの流れがこの無意味なメソードを解体することにある程度成功したのですが、問題はそれにより

身体性や身体論、ボディワーク、ブレスワーク(呼吸法)、意識のレンジといったパフォーマンスをトータルで感じる力が、少なくとも1990年代あたりと比較いたしましても明らかに減少しているという点があります。

これはいわゆる19世紀型で重要視されていた腹式呼吸や姿勢といったメソードにより、各種ブレスワークの探究、各種ボディワークの探究が世の中で低レベルながら行われていたのに対し、フースラーメソードでは倍音構成の変化によるアンザッツやレジスター訓練で効率的に喉の内外の筋肉が鍛えられるため、そもそも声さえ出れば台詞のエロキューションや歌唱が上手くなると短絡的に考えていた人達がそれらボディワークやブレスワークを行わなくなっていったことは大きな原因かと存じます。

発声そのものにはボディワークやブレスワークはほとんど役に立たないと考えて問題ないのですが、パフォーマンスを総合的に見るならばラディカルなボディワークやブレスワークによる意識のレンジの解放、身体のレンジの解放は必須です。

発声がいくらできても、あまりにもみっともない意識、みっともない身体、みっともない現前性では、基本的にはパフォーマンスは成立いたしません。

舞台やライブあるいはストリートは普通の身体や普通の意識、すなわち日常的心身の状態であるOSCやハイロトロピックでは殆どの場合成立いたしません。基本的には鍛練されたASC、ホロトロピックな心身のレンジが必要不可欠なのです。

私の著書もフースラーメソードやゴルジャメソードだけをお読みになり、『神経科学的光の瞑想~世界最高のエラノス理論で超ゾーンを実現する~』や『野生の声音~人はなぜ歌い、踊るのか~』をお読みにならないようでしたら、そもそもフースラーメソードを行う資格はないでしょう。フースラーメソードやゴルジャメソードでも必ず身体訓練や瞑想法、総合パフォーマンスについては記してきておりますが、こういった方はそのあたりを読み飛ばしている傾向があり、同時にパフォーマンスを総合的に捉える思考が完全に欠落しております。 

我が校では恐れ入りますが、このような方は原則、ご入会をお断りさせていただいております。

また、他で意識のレンジ、瞑想、身体訓練、演技を学んでいるから、我が校では、フースラーメソードのみを学びたいなどというのも極めて物事の本質を理解出来ていない可笑しな話なのです。

なぜならば、我が校は、世界最高の瞑想理論であるエラノス理論、世界最高のパフォーマンス理論である折口信夫の芸能学、世界最高の演劇論アルトーの理論が唯一実践として学べる場であり、そのような場は他には存在していないのです。

そもそもラディカルにパフォーマンスを指導している場所自体が本来殆どないのです。演劇養成所、声優養成所で教えられている身体訓練、演技訓練、感情解放訓練は殆ど指導者の個人的な感想です。もしくは、すでに解体されたリアリズム演劇的な身体訓練、演技メソッド、感情解放訓練であり、これでは19世紀的な西洋のパラダイムに閉じ込められた質の低いパフォーマンスしか出来ないのです。
瞑想もまた、今世の中で流行しているマインドフルネスやハタヨーガは非常にレベルの低いものです。これらは本来の形に回帰すれば決して質の低いものではないのですが、そのためにはエラノス的な瞑想は必須になるのです。


●倍音が総合パフォーマンス力を活性化せる。

一方で、理論上はフースラーメソードのいわゆる狭義の発声訓練のみで総合パフォーマンス的な領域、すなわち瞑想における至高領域、身体性や現前性、意識のレンジの鍛練、解放を行うことは可能なのです。

それは発声力が高まれば倍音力が高まり、オノマトペ、インタージェクション、スピーキングインタングスは酸欠および血中の二酸化炭素濃度を高める効果があります。これらにより神経伝達物質の分泌、更に精度が上がればフォスフェン≒エントプティックの発動も起こります。

しかし、残念ながらこうしたことはそこに興味関心がないならば基本的にはサイトシーイング化する傾向がございます。

サイトシーイングとはユング派の心理学者のテクニカルタームで観光を意味しますが、要するに価値あるものを観てきても使える経験になっていないことを意味します。

我々は遊園地、公園、お祭り、成人式などの通過儀礼、食べ歩き、飲み会、合コン、クラブ、スノーボード、あるいはライブや演劇、スポーツ観戦、ハロウィン、クリスマス、盆、正月にいたるまで、本来は意識のレンジ、身体のレンジを解放する効果のあるものを日々経験しておりますが、それが心身解放に実質繋がっている人は稀です。基本的には遊園地で神経伝達物質が分泌されたとしてもそれに磨きをかけねばなりません。 「楽しかった!」だけでおしまいではパフォーマーとしてはやはり未熟かと存じます。パフォーマーは一般の方とは違う心身解放力を持たねばならないのです。


●憧れの歌手や俳優は総合パフォーマンス訓練をしているのか?

基本的には、多くの歌手や俳優は殆どまともな鍛練はされていない方が大半です。
ご自身の感覚でなんとなくの微調整、対症療法的なトレーニングを日々行われている方は数多くいらっしゃるかと思いますが、ラディカルな意味でのパフォーマンス訓練をされているか?と問われるならば、殆どの方はされていないでしょう。

先ず、他の記事でも書きましたが、プロダクションや養成所の指導者の大半は指導者としては素人の方ばかりです。ですからそうした方から学んだメニューは殆ど対症療法的なものになるのです。

また、歌手の場合世の中一般に広まっている19世紀的な対症療法的なボイストレーニングを行っている方はそれなりにいらっしゃるかと存じますが、いわゆる身体訓練や意識のレンジの訓練を対症療法的にでも行っている方は少ないようです。

逆に俳優や声優は対症療法的なメニューが殆どながら身体訓練、現前訓練、感情解放訓練、発声訓練、滑舌法などは一応一通り行ってきた方は多いかと存じます。

ただこれらは学問的、科学的に考えるならば殆どあるいはまったく役に立っていないはずです。

職業パフォーマーは基本的には最低限のパフォーマンス要素を満たしている人が多いですが、彼らの身体性、現前性、意識のレンジ、声のレンジは現場での経験の中で培った場合が殆どです。

では、これからパフォーマーを目指す方々が、あるいは職業パフォーマーが今以上にスキルアップしたい場合、経験の中でそれが身に付くのか?と問われるならば、それは殆ど賭けに近いものだと思われた方がよいでしょう。

そして経験の中からパフォーマンス要素を鍛練出来る方はごく僅かです。従ってボイトレだけを鍛練する、ボディワークだけ鍛練する、意識のレンジだけを鍛練するというのはパフォーマーの在りかたとしては、完全に間違いです。

すべてを鍛練しなければなりません。また、僕はこの要素が弱い、私はこの要素が弱いという自己判断は間違いである場合が殆どであり、全部の要素が足りていないのが職業パフォーマーを含めた大半の方々の実情です。
また、一方で殆どの人の中には達人レベルの潜在能力が眠っているのも事実なのです。それを使いこなせていないだけなのです。


●ノイズ、言語混乱、オノマトペ、エスニックボーカルテクニック、拡張発声、特殊発声、スピーキングインタングス、等々

フースラーメソードの最大の功績はノイズや拡張発声にあると言えるでしょう。フースラーメソード以前は19世紀型のボイトレにより、大衆芸能、大衆歌謡、演劇の中で当たり前のように使用されていたノイズ発声や拡張発声は、19世紀的な西ヨーロッパのモラルセンスによる思い込みから指導現場では悪とされてきました。耳鼻咽喉科医や言語聴覚士にとってもノイズ発声を病気扱いする方は未だにいらっしゃるようですが、こうした発想が、低レベルな19世紀型メソードと19世紀的西ヨーロッパの美意識をまったく異なるパラダイムで成り立っている大衆芸能や大衆歌謡、不条理演劇、オルタナティブ演劇、あるいは漫才の現場にさへ持ち込んでしまった原因の一つのように思います。

また、メタルやハードロック、アバンギャルド、アングラ演劇、純邦楽、古典芸能、寄席芸、民族音楽、民俗芸能、民謡、民話、神話などの語り部のように元来ノイズ発声や拡張発声を生々しく使用していたようなジャンルのパフォーマーまで、ノイズは魅力的だか、喉には良くないという間違った知識を持っておりました。

フースラーメソードやチャールズラン、ヴォルフゾーンなどによりノイズ発声や拡張発声は間違いではなく、人の声のレンジ、心身のレンジを拡張し、解放することは神経科学的にみても明らかであり、それはバリーワイクの登場により、より一層明らかになってゆきました。


●フースラーメソードコースはP≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコースとのセットでの受講となります。

冒頭でも申し上げましたが、フースラーメソードのみを受講なさることは致しかねます。基本的には総合パフォーマンスコースとのセット受講になります。基本的には、パフォーマーで身体訓練、瞑想訓練、演技、現前訓練、ボディワーク、ブレスワークをラディカルに学べている方は殆どおりません。例外的に東洋やアフリカの伝承的な態には優れた態があることも確かです。また、世界各地の先住民の態の中には超達人の領域を発動させる態があることも確かですが、これらの伝承は感染教育法あるいは態言語によるもののため、いくら優れた態でありましても誰もが確実に学べるものではないのです。

また、1960年代以降このような伝承的な態言語による教育も上手く機能しなくなっていることが指摘されております。象徴的なのはバサンタクマリという歌い手のガマカという民族音楽学でいうところのグレイスノートやメリスマティックスタイルがそれ以前の歌い手に比べて粗くなっていることが指摘されました。また、1960年代以降バラタナティヤムの舞踊家などからもラサが消失しつつあることも指摘されました。

ラディカルなパフォーマンスメソードというのは、この本来は態言語や感染教育により伝承されてきたような達人の態、あるいはそれ以上の領域を誰しもが客観的に学べるように学際的な研究により体系化したものです。

もちろんエラノス瞑想におけるエラノスの神経科学、認知考古学による瞑想は20世紀前半までに存在した伝承芸能や先住民の達人の更に先をゆく技法です。なぜならば、伝承芸能の達人や先住民の達人たちの源になる旧石器時代の瞑想とパフォーマンスを獲得することが出来るからです。フースラーやヴォルフゾーン、ポールニューハムが捉えた究極の声の領域というのはこのような領域をいうのです。
そもそもフースラーメソードの奥義もまた、アドルフ・ポルトマンによりエラノス会議に取り入れられたのです。

フースラーメソードを浅薄かつ軽薄なボイトレの延長で断じて捉えてはならないのです。古代人というのは瞑想、声、身体、意識、現前これらをトータルで捉えていたのです。
そしてパフォーマンスを総合的に捉えてゆかない限り、パフォーマンスの至高領域の発動は起こらないのです。

瞑想の達人とパフォーマンスの達人と

我々はこれまでに3万人以上の瞑想者(僧侶、神職、シャーマン、瞑想指導者、ヨーガ指導者、精神科医、)とパフォーマー(俳優、声優、漫才師、歌手、子役タレント、古典芸能者、民俗芸能者、民族音楽、民謡歌手、民話の語り部、舞踊家、舞踏家、アバンギャルド)に指導してきましたが、年々と過去の達人に対する興味がない方が増えているように感じております。安易な還元主義に陥り、表面的な態だけを学べれば良いという発想では達人にはなれません。

達人とか名人という存在は元来、普通の人の心身のレンジを超えた領域を更にもう何ランクかの壁を超えた存在を指す言葉でした。

現在では達人や名人という言葉も形骸化しているようにも感じますが、過去の伝説的達人や名人を知らずして、瞑想を極めることは出来ません。パフォーマンスを極めることは出来ないのです。
瞑想の達人やパフォーマンスの達人につきましては私の著書『野生の声音~人はなぜ歌い、踊るのか~』に総括的に紹介しておりますので、基本的にはそちらを参照していただきたく存じますが、ここでは極一部になりますが、瞑想の達人、パフォーマンスの達人を紹介してゆきたいと思います。


●瞑想の達人、シャーマニズムの達人

瞑想の達人といいますと多くの方は、ヒンドゥールネッサンス系の達人やヨーガの達人あるいは鎌倉新仏教における達人、チベット密教系の達人を思い浮かべるかと思いますが、他にも瞑想の達人は世界各地にまだまだおります。

最高レベルの超達人はやはり旧石器時代の瞑想者達でしょう。ラスコーやレトロワフレールは元より、アルタミラ洞窟、ショーヴェ洞窟、ニオー洞窟、フォン=ドゥ=ゴーム洞窟、レ・コンバレル洞窟などどれも石器時代の瞑想の超達人の態によるフォスフェン≒エントプティックが発動したものと考えられるのです。また、鳥人間、トナカイ人間、鹿人間、カモシカ人間、ライオン人間、等の半獣ビジョンの発動は認知考古学的には瞑想のアルティメットステージと呼ばれる既存の瞑想のあらゆる至高領域を超えた領域が発動されていたことの証拠と考えられております。あるいは、浸透概念や流動概念といった、古代人が当たり前に持っていたような心身のレンジの発動を確認することも出来、それは万葉人の中にも残っていた身体性であることが、京都学派などからも指摘されております。

次に注目すべきは世界各地の先住民の瞑想とパフォーマンスです。世界各地の先住民は瞑想、パフォーマンス、シャーマニズムとが一体になっており、どれも最高レベルで行われてきました。特に注目すべきは典型的なフォスフェンやエントプティックを発動させるイヌイットやユピクのコウマネクやサン族に伝わるキアと呼ばれるクンダリニー的な瞑想の精度を何倍にも高めたような瞑想パフォーマンス技法がございます。

他にもヴェッダのカプラーラ、セルクナムのヘイン、アボリジニのドリーミングやコロボリー、あるいは世界各地の民俗芸能の中にもレベルの高い瞑想パフォーマンスが多々あります。インドネシアのクラウハンの技法はその代表であり、インドにも民俗芸能の宝庫とされるケララには数多くの瞑想とパフォーマンスが即で結ばれた技法があり、テイヤム、クーリヤッタム、カタカリなどはどれも瞑想とパフォーマンスとの結びつきが強くあります。

カタカリにはワニ足とも呼ばれる足の技法があり、演技における最も重要な身体性の一つとも考えられております。そしてその技法は神経伝達物質を放出させ、意識を変容させるのです。

クーリヤッタムには達人の一族チャーキャール家があり、マニ マーダヴァ チャキャールやアマヌール マーダヴァ チャーキャールは超達人の領域にいるパフォーマーです。また、こうしたケララの瞑想やパフォーマンスにはカラリパヤットの身体性が活かされていることも注目すべき点です。武術とパフォーマンス、武術と瞑想というのも元来一つのものであり、タイのコーンという芸能は特に武術とパフォーマンスとの根源的な繋がりを実感させてくれるものになります。

日本には三信遠国境地帯に霜月神楽や田楽、風流、農村歌舞伎の古い形態が伝承されており、どれも元来はとてつもない意識変容力を持つパフォーマンスです。特に日本の瞑想とパフォーマンスにおける二大奥義ともいえるタマフリと反閇の超強力な技法が伝承されてきたのです。世界初のパフォーマンス論とされる折口信夫の芸能史や古代芸能学はこの三信遠国境地帯の芸能と沖縄のアンガマア、マユンガナシ、アカマタクロマタ、セヂ水などの研究とケンブリッジリチュアリストの研究を交錯させることにより発想されたものなのです。

一般的にオーソドックスな瞑想の達人は、ブッダやマハビーラ、あるいはサラハパーダやヴィマラ・キールティ、マハーカーシヤパ、達磨などの仏教やジャイナ教の達人や ヨーガスートラで有名なパタンジャリ、ハタヨーガの開祖ゴーラクナート。
チベットのタントラにおけるパドマサンバヴァやミラレパ、タオイズムの老子や呂 洞賓、ドイツ神秘主義の達人エックハルトやヤコブベーメ、錬金術の達人パラケルスス、ヒンドゥールネッサンスの達人であるラーマクリシュナ、クリシュナムルティ、オーロビンドゴーシュ、マウナの達人であるラマナ・マハルシ、近代における最高の達人の1人であるグルジェフや日本の神道リバイバル(復古神道)の達人である本田 親徳、出口 王仁三郎、大石凝 真素美、息吹永世や十言の神咒の達人井上正鉄あるいは神仙道をリバイバルした宮地水位などがあげられるかと存じます。

また、他にもインドでは初の梵我一如の発動者として知られるシャーンディリヤやチャリタの達人、タパスの達人であるマールカンデーヤやアシュターヴァクラ。インド最大の哲人とされるウッダーラカ・アールニ、ヤージュニャヴァルキヤ。不二一元論のシャンカラなどがおり、スーフィズムでは、ルーミーやイブンアラビー、バスタミーなどが強力なファナーを発動させられる達人として知られております。

他にもカバラの達人アブラフィアやグノーシスにおけるシモンマグス、ヴァレンティヌスによるディヴァインスパークやグノースティコスの発動、マガの技法の達人であるツァラトゥストラなどの達人がおります。

日本にも古神道の達人のみならず、折口信夫が死者の書続編にてあらゆる瞑想のコアを捉えた存在として描こうとされた弘法大師や、鈴木 大拙によるあらゆる瞑想のコアがあると考えられた禅には数多くの達人がおります。道元、一休、白隠、良寛から近代にも澤木 興道という素晴らしい達人がおりました。他にも千日回峰行の祖である
相応や三千日回峰行の達人である正井観順や奥野玄順、修験道の開祖である役 小角や白山修験の泰澄、捨身の行の達人である林 実利など日本人はかつて瞑想民族であったとされる説を裏付けるだけのあまたの達人がいるのです。

こうした達人たちの殆どがフォスフェンやエントプティックを瞑想のコアとして捉えていたことはエラノス会議により明らかにされたわけですが、現在伝承されております上記の達人たちの系譜の瞑想技法が必ずしもフォスフェンやエントプティックを発動させるものではないのです。

それは現代においてこれらの瞑想が形骸化されていることや元々、上記の達人たちも態言語により伝承されてきたため、誰しもを確実にその領域に導くことはそもそも難しかったのです。しかし中世以前の瞑想者たちはそもそも日常レベルでASCを発動させやすい傾向があり、身体性も日常レベルで高水準であり、現代人とは比較にならない身体性、現前性を発動させていたのです。ですから態言語や感染教育のような教育法が非常に伝承されやすい状態にあったのです。現代の瞑想が形骸化されているのは、そもそも現代人の日常レベルの意識のレンジや身体性が著しく低下したことによるのも大きな原因の一つかと存じます。

宮沢 賢治の農民芸術概論や行住坐臥、カルマ・ヨーガや植芝 盛平のように生活の中の意識のレンジ、身体性そのものを改めて捉え直してゆくようにしなければ、かつての達人たちの瞑想技法をリバイバルさせるのは本来は難しかったのです。

しかしエラノス瞑想理論により、感覚的な態言語や感染教育ではない、現代人をアルティメットステージへと確実に導くための瞑想テクニックが体系化されました。

フォスフェンやエントプティック、エラノス瞑想はそもそも伝承的瞑想の地下水脈のような旧石器時代の瞑想を神経科学や認知考古学によりブラッシュアップしたものです。伝承的瞑想を再生させるにもこのフォスフェンやエントプティックの技法は必須なのです。


 瞑想はその地下水脈に近いものほど、パフォーマンスと一体化している傾向がございます。こうした瞑想即パフォーマンスの達人の中でも変性意識(超ゾーン)や現前性の参考になるものの最高峰は、上記の民俗芸能や先住民の瞑想や芸能の他にも、放浪芸やフリークショーであると芸能学では考えられております。ですからアングラ演劇やオルタナティブ演劇において、見世物や河原者、サーカスなどが注目されたのも当然なのてす。

放浪芸というのは、いわゆる旅芸人です。ですが、一般的に多くの方が抱いている印象の何倍も精度の高い圧倒的な瞑想テクニック、現前性、変性意識テクニックとパフォーマンス力を持っているのが放浪芸人なのです。

放浪芸の中に瞑想やパフォーマンスに重要なものはすべて含まれていると考えていただいて問題ないかと存じます。そして現代の様々なパフォーマンスも放浪芸から生まれているのです。

放浪芸リバイバルの草分け的な存在でありました小沢昭一が芸能のコアと呼んだ漫才のルーツはホカヒビト、唱聞師、門付の萬歳にあり、流行歌手のルーツは、くどき節、歌祭文、門説教、読売り、書生節、などですし、飴屋踊りや舌耕芸は実演販売のルーツであり、絵解きやのぞきからくりがアナウンサーや声優の原型とされております。

オルタナティブ演劇で重要視された歌舞伎や能楽も1960年代以前の達人である十五代目 市村 羽左衛門や六代目 尾上梅幸、初世梅若万三郎、初世梅若実、櫻間 伴馬、櫻間 弓川、十六世 宝生 九郎、野口 兼資などの達人には原初の身体性が宿っておりますが、実際には歌舞伎や能楽自体が原初の芸能というわけではございません、さらなるアーキタイプは放浪芸や民俗芸能の中にあるのです。歌舞伎は念仏踊り、あるいは綾子踊、綾子舞、農村歌舞伎に古い形が残されておりますし、能楽は散楽法師、猿楽法師や田楽法師から発生し、黒川能や奈良豆比古神社の翁舞などに原初的な身体性が伝承されてきました。

メイエルホリドによるルーツ芸能とも称されたコメディアデラルテも放浪芸であり、コメディアデラルテはパンチとジュディ、あるいはプルチネッラを経由することで、演劇の基礎のみならず、現代漫画のルーツの一つともされております。

また、メイエルホリド的な発想の至高の芸能として韓国のタルチュムなどがあります。

他にも放浪芸的な芸能である節談からは落語、講談、浪花節が発生しました。
節談の亀田 千巖老師などは超達人の領域を発動されている方でした。
浪花節は他にもデロレン祭文、阿呆陀羅経、ちょんがれ、ちょぼくれ、五色軍談、七色節などの様々なパフォーマンスがアマルガム化したものでした。

このようにパフォーマンスのルーツは放浪芸にあり、放浪芸を徹底的に研究した唯一無二の学問こそ折口芸能学なのです。そしてこの発想は折口信夫の高弟であった井筒俊彦によりエラノス会議にも影響を与えてゆきます。あるいは岡 正雄を通してスラヴィクやウィーン学派、エリアーデにも影響を与えたと考えられております。

そして、この放浪芸の奥義の一つとされるのが、ラリブチです。すなわち超強力な瞑想力により超ゾーンを発動させて舌耕芸を行う至高の態です。

このような瞑想とパフォーマンスが即で結ばれた領域は1960年代までは辛うじて世界各地に存在しておりましたが、1960年代を境にして奥義ラリブチの発動の技法の使い手はいなくなっていました。

また、放浪芸、超ゾーン、瞑想力を発動したパフォーマンスが姿を完全に消したのは美空ひばりと俄の達人でもあった藤山 寛美の死を境にしていると言われております。

瞑想や変性意識とパフォーマンスの関連性は現代にまったくないわけではありませんが、その殆どはサイトシーイングしております。ひばりと藤山寛美が亡くなられたことを境にし、その関連性が消失された、あるいは薄まってしまったと考えられているのです。

現代人は瞑想とパフォーマンスを分けて考えている方が殆どかと存じますが、上述のように本来これらは一つのものであり、瞑想の地下水脈、パフォーマンスの地下水脈にダイブすればするほどに瞑想とパフォーマンスは渾然一体となってゆきます。これらが分離している状態というのは、完全な形態ではないのです。瞑想とパフォーマンスが渾然一体となっていた旧石器時代の瞑想即パフォーマンスの中にあらゆる瞑想の再生の極意、あらゆるパフォーマンスの再生の極意があるのです。


●世界各地のルーツ演劇、ルーツ舞踊、ルーツ歌謡、ルーツ漫才(仮面の芸能、民俗芸能、民俗舞踊、放浪芸、フリークショー、民謡、民話、神話)

パフォーマンスと瞑想が結びついていた、瞑想とパフォーマンスの本質的な状態を我々に示すもので重要なものに仮面のパフォーマンス、マレビトのパフォーマンスがございます。仮面の芸能もマレビトの芸能も基本的には、超強力な変性意識が基本になりますので、これらには元来瞑想のアーキタイプが残されていると考えられるのです。
また、これらの仮面の芸能や民俗芸能は世界各地のルーツ演劇としての特性を持ち、歌唱における民謡、語りにおける民話や神話、舞踊における民俗舞踊に相当いたします。

仮面の芸能やマレビトの芸能の代表格は日本では三信遠国境地帯の榊鬼、天伯、たいきり面、幸法、沖縄のアンガマ、アカマタクロマタ、マユンガナシ、パーントゥなどが芸能学が研究してきた代表的な仮面のパフォーマンスです。

アフリカではムカンダに登場するムヨンボやギテンガ、オセアニアのハウスタンバランのアバンとマイ、インドネシアのバロン、インドのテイヤムやブータ、チベットのチャム、スリランカのサンニーヤクマ、北米インディアンのフォールスフェイス、アンデスのディアブロ、サンタクロースのアーキタイプとされる聖ニコラウスに同行するクランプスやルプレヒト、ルーマニアのマスカなど世界各地にマレビトの芸能や仮面の芸能があり、瞑想の古層、変性意識技法の古層、パフォーマンスの古層を伝えているのです。

舞踊の構造もまた、意識変容や瞑想技法そのものであり、それらと表面上あたかも解離してしまっているような舞踊は形骸化したものか、あるいはサイトシーイングしてしまっているのです。

折口信夫は舞踊の本質を反閇やヘンベ、禹歩に実感しております。あるいは旋回、跳躍の中に舞踊のアーキタイプがあるのです。

三信遠国境地帯の霜月神楽は元より、カガイやテイヤムのような原初的な芸能の中でも反閇やヘンベ、禹歩あるいはそれらが展開した態は重要な役割を果たしているのです。

更には歌舞伎の六方、能の摺り足、相撲の四股、あるいはカタカリのワニ足など、足の態は芸能、演劇、舞踊の核を成すことが指摘されております。

また、民族により様々な身体性があり、日本は腰や肚を中心とする傾向があり、西洋は鳩尾、アフリカは頭頸身体文化と呼ばれております。

晩年の大野一雄は手を中心とした舞踊を行いましたが、古代オリエント舞踊においては手を中心とした舞踊の技法が多くあったことが解っております。

科学的な舞踊研究はセシルシャープにより始められ、モリスダンスの中に原初舞踊の身体性が発見されてゆきました。ストラヴィンスキーもまたホロボードの中に原初の舞踊を実感してゆきましたし、イサドラ・ダンカンはコントラポストや太陽神経叢の中に原初の身体性を実感してゆき、それはゴードン・クレイグを通して演劇の身体性に多大な影響を与えてゆきます。

ちょうど土方巽の身体性あるいは中原 中也の身体性が唐 十郎や寺山 修司に多大な影響を与え、アングラ演劇の身体性や特権的肉体論へ展開したようにです。

また、クルト・ザックス、リリーグローブ、アランロマックス、ゲルトルード・クーラスにより世界各地の舞踊の身体性はより詳細に研究されてゆきました。

注目すべきはコレオメトリクスの基礎理論にラバンの理論が使用された点です。ラバンはエフォート理論により身体性の解放を目指し、特にグライドやフロートがルーツ舞踊や舞踊と演技が未分化の段階であった原初のマイムの中心的なエフォートであったことを明らかにしてゆきました。

また、ラバン、あるいはイサドラ・ダンカンもまたエラノスの地であるアスコナの舞踊家であり、それぞれ舞踊と演劇におけるグノーシス的身体性の構築へと多大な影響を与えてゆきます。イサドラ・ダンカンの身体性は舞踊は元より不条理演劇やオルタナティブ演劇へ多大な影響を与えていったのです。

世界各地のルーツ舞踊、民俗舞踊や民族舞踊にはモリスダンスやホロボードの他にインドにはマニプリやカタック、バラタナティヤム、カタカリ、オリッシー、チョウなどがあり、どれも20世紀後半のアルトー演劇論系の流れに多大な影響を与えております。現前性発動のための基本的な身体性がこれらの舞踊の中にあるのです。

こちらのアルトーに影響を与えたのがタラウマラの芸能やエレウシスの秘儀と並び、バリ島の民俗芸能、バリ島の民俗舞踊です。バリ島はマーガレットミードにより村人全員が変性意識に入れる村が殆どであることを指摘されている瞑想の達人、パフォーマンスの達人がゴロゴロといる地です。

特にプリアタン村は芸能の島と呼ばれるバリ島の中でも特に達人の村と知られております。インドネシアではレゴン、トペン、バロンダンス、あるいはケチャの原型とされるサンヒャンなどがあります。他にも東南アジアにはタイにコーンと呼ばれる舞踊があり武術と芸能の繋がりを実感させられる典型的な芸能であることは上述した通りです。

西アジアはラバンのエフォート理論に多大な影響を与えた、ラバンから不死身の舞踊と称された変性意識への変容力が高いセマーやアラブの身体性の基礎とされるダブケなどが代表的です。

東アジアにはメイエルホリド的理想の演劇とされたタルチュムや農楽、あるいは朝鮮最高の舞踊家としても名高いファンジニのドラマでも話題になった鶴の舞などがございます。あるいは中国55の少数民族にも豊かな舞踊身体文化があり、孔雀舞はその代表的なものとされております。

アメリカ先住民の舞踊もまた豊かであり、中でもラコタスー族のサンダンスはトランスパーソナル心理学の大家であるスタニスラフ・グロフの過換気呼吸による意識変容術ホロトロピック・ブレスワークに多大な影響を与えております。他にもコヨーテダンス、ゴーストダンス、パウワウなどがあり、2023年に亡くなられたザ・バンドのロビーロバートソンの名盤ネイティヴ・アメリカン は今でもネイティブ・アメリカン芸能の入門編として高い評価を受けており、ネイティブ・アメリカンの芸能の骨格が押さえられた構成になっております。

アフリカの舞踊身体性は頭頸身体文化と呼ばれており、マルチプリケーションとポリセントリックを基本としております。特に重要なものといたしまして、マルセル・グリオールが研究したドゴンは神話、仮面、舞踊で豊かなパフォーマンスや瞑想があることが知られており、通称、ドゴンの仮面ダンスは有名です。
また、アメリカのパフォーマンスにも影響を与えたと考えられておりますカレンダやアフリカの中でも最も原初性のあるコイサン系による原初の舞踊いわゆるヒーリングダンスは天然の瞑想としては現在世界最高レベルの意識変容力を持つとされるキアを発動させてゆきます。

また、ムブティやバカ、アカといったピグミー系の方達は村人全員が舞踊の達人であることがアランロマックスなど多くの研究者が指摘しております。

オセアニアもまた、舞踊が盛んでありますが、代表的なものはハワイのフラ、タヒチのオリ、マオリ族のハカなどは有名です。
より原初的なものでは、アボリジニダンスやコロボリーがあり、こちらもキアに匹敵するレベルの意識変容が発動してゆきます。

民謡もまた、世界各地の民謡の中に原初的な歌唱構造や倍音やメリスマティックスタイルによる変性意識術、瞑想法が残されていると考えられております。

こちらはヘルダーのオシアン論により民謡研究が始まりますが、より科学的な研究といたしましてはセシルシャープがブリテン諸島のバラッドを研究したことにはじまります。あるいはジェームズチャイルドの研究も重要です。

また、コダーイやバルトークによります、マジャル民謡やトランシルヴァニアのセーケイ民謡の研究も重要です。他にもアフリカ民謡研究のヒュートレイシー、アボリジニ民謡研究のアリスモイル、トルコ民謡の研究のサイグン、インドの民謡を研究したフォクス、また、インドの民謡を知る上ではカシミール民謡、ベンガル民謡、パンジャーブ民謡なども重要です。他にもメルスマンやブラッキング、タンブリングストレインとホリゾンタルメロディの理論を発想されたクルトザックスも極めて重要な研究者かと存じます。

また、日本民謡の研究は柳田國男や町田 佳聲により研究されてゆきました。また、ハンガリー民謡の孔雀のコンテストなどで元々のハンガリー民謡とはかけ離れた倍音構成やフレージングになっていたように、後藤 桃水の影響から生まれた日本民謡協会系の民謡も元来の民謡とは大きく異なる芸態になっているかと存じます。これもバサンタクマリのガマカの問題と関連する問題なのです。


アメリカ民謡はヘルダーの後継者とも称されたハリー・スミスやロマックス親子、シーガー家、カーター家により継承、研究が行われてゆきました。

また、ワンダーフォーゲル運動などをルーツとしながら世界各地で様々なフォークリバイバル運動が起こりました。アメリカでは、アパラチア民謡、オールドタイムミュージックなどの達人であるドック・ボッグス、フランクハッチスン、クラレンスアシュリー、カーターファミリーを皮切りにして、ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、レッドベリー、ニューロスト、ボブディランなどにより民謡復興運動が起こり、ブリテン諸島では、ALロイドやイワンマッコールなどにより民謡復興運動が起こり、それはスキッフルブームへと繋がり、そこからビートルズが登場してゆきます。

ハンガリーではダンスハウス運動が起こり、ラテンアメリカでは達人であるアタウアルパユパンキなどの頃にすでに萌芽がありましたが、いわゆるヌエバ・カンシオン運動が起こってゆくのです。

神話や昔話も元来は変性意識に入り語られる芸能であり、ここにも瞑想奥義のアーキタイプがあるのです。参考といたしまして、陸奥のハイハイ物語やうたいむかしコやウエペケㇾ、ユーカラの古い録音には達人の語りが記録されております。特にサコロペの超達人 八重九郎さん、遠野の語り部の超達人 鈴木サツさんやソロコヴィコフ=マガイ、バズマナシソコなどは最高レベルの名人です。また、伝説の達人フィーマン夫人なども押さえておきたいところです。他にもカレワラやオシアン叙事詩の語り手も20世紀後半まではかなりの達人がおりました。

神話研究では、宇宙開闢の神話を基礎にしたエリアーデや英雄神話を基礎にしたキャンベルの研究が代表的です。民話研究では、グリム兄弟、アールネとトンプソン、プロップ、マックスリュティ、日本では柳田 國男や関 敬吾が代表的です。
あるいはアメリカの口承伝承研究の第一人者ミルマンパリーなどは重要です。


放浪芸やフリークショーも瞑想や変性意識の技法を継承してきたルーツパフォーマンス、ルーツ瞑想であることは申し上げた通りです。

日本の放浪芸の元祖は、ほかい人になりますが、世界各地にも放浪芸能者は存在しております。東アジアでは、韓国のナムサダン、ヨサダン、あるいはムーダンのシャーマニズムなども放浪芸として研究されております。民俗伝承の宝庫とされる生駒山系にもラディカルなムーダンあるいはポサルによるクッが伝承されております。

インドではボーパ、ジョーギー、マンガニヤルと呼ばれるロマのアーキタイプともされている放浪芸能者がおり、中東には、井筒俊彦が重要視したカーヒンや幻人、アーシュク、オザンなどがおり、中央アジアのバフシ、オセアニアにはハクメレやアリオイ、あるいはアボリジニのソングマン、アフリカにはグリオやアズマリ、ラリベロッチ、西洋ではジョングルール、ベルチョラリ、トラベラーなどが代表的です。南北アメリカにはアクヤクーナやママクーナ、ソングスター、メディスンショー、近代フリークショーの創始者PTバーナムなどが挙げることが出来ます。

アランロマックスはこうした放浪芸能者のパフォーマンスの構造を分析しておりますが、その身体性、倍音構成、メリスマティックスタイル、グレイスノート、律動性は変性意識、瞑想のための奥義と呼びうるものになっていることが解ります。



芸能のコアが放浪芸やリチュアル、瞑想にあることについてを解説してきましたが、放浪芸のコアとされるパフォーマンスが門付であり、萬歳です。

萬歳は、ほかい人やカガイの直系の子孫であり、漫才は、現在の日本のショービジネスの中心でもある芸能です。

古くは千秋萬歳がございまして、更にこれが、尾張萬歳、三河萬歳、越前萬歳、秋田萬歳、会津萬歳、伊予萬歳へと展開されてゆきます。そして嵐伊六により萬歳はよりバラエティショーとしての側面を強めてゆき、玉子屋 円辰によりしゃべくり漫才のアーキタイプのようなものが形成され、ご存知のようにエンタツ・アチャコによって現在のしゃべくり漫才の形が形成されてゆきました。小沢昭一の放浪芸のレコードに収録かれておりますものは超達人です。また、大道楽レーベルの鈴木源十郎一座や玉子家円辰、若松家正右衛門は至高の萬歳と呼ぶべき領域です。

他にも砂川 捨丸やミスワカナといった超達人や比較的新しいところでは、ダイラケ漫才、いとこい漫才も達人の領域です。


●世界各地の古典芸能の達人

世界各地の古典芸能の達人も基本的には1960年代以前に活躍された方をお薦めいたします。一般の方によくある傾向といたしまして古典だから良い、能楽や歌舞伎だから良いという発想は安易かと存じます。

私の著書『野生の声音』が発売されてから、YouTubeなどで各地のパフォーマンスを検索される方も増えたかと存じますが、YouTubeなどでパフォーマンスのジャンル名を検索されましてもトップに出てくるのは最近の動画、近年の録音が殆どです。

我々がお薦めするものも、以前に比べますとYouTubeでも工夫すればかなりヒットしやすくなっておりますが、まだまだYouTubeで観ることも聴くことも出来ないような達人たちがゴロゴロとおります。民俗芸能、仮面の芸能、シャーマニズム、先住民の瞑想、先住民のリチュアル、世界各地の民謡、民俗舞踊などは特にその傾向が強いですが、それでも古典に関しましてはビッグネームであればかなりの古い達人でもYouTubeで観ることが可能になってきております。

日本の古典の達人と申しますと、先ず能楽は、上述いたしました初世梅若万三郎、初世梅若実、櫻間 伴馬、櫻間 弓川、十六世 宝生 九郎、野口 兼資などの達人、後は、世阿弥の再来とも称されました観世 寿夫も外せないでしょう。

観世 寿夫はドゥクルーとアルトーの演劇論を体現した名優ジャン=ルイ・バローとも交流がありました。

ジャン=ルイ・バローは『天井桟敷の人々』でも主演を務めましたので、皆さんもご存知かと思います。

 能楽の基本は足の技法にありますが、その古層には鎌倉新仏教や妙好人の中にあらゆる瞑想のコアを見た鈴木大拙により捉えられた禅や、折口信夫によりマレビトや日本のパフォーマンスの古層として捉えられた翁がございます。能楽界からも金春禅竹がやはりラディカルな翁論を展開させておりますが、観世寿夫あたりまでの達人には、そうした領域の表出が色濃くございます。

歌舞伎では、やはり究極のエロキューション力と究極の現前性を持つとされる十五代目 市村 羽左衛門や女形の達人六代目 尾上梅幸が筆頭かと存じます。

他にも五代目 中村 歌右衛門、四代目 澤村源之助、七代目 澤村宗十郎、七代目 松本幸四郎、六代目 尾上 菊五郎、初代 中村 吉右衛門、二代目 市川 左團次、十一代目 片岡 仁左衛門、七代目 市川中車、三代目 中村 雀右衛門などは芸能学の創始者である折口信夫が認めた達人であることでも知られております。

他にも折口信夫は初代 桂 春団治や桃中軒 雲右衛門のレコードを正月によく掛けており、その際の大トリは必ず伝説的な芸者 あい豆 の「雪」であったことが知られております。 あい豆のレコードは私も苦労して手に入れたものですが、まさに達人中の達人であり、瞑想的な世界を表出させ、意識の変容を発動させる領域のものです。


近世邦楽では、古い節の感覚のある長唄の達人 松永 和楓やあらゆるジャンルからも目標にされた近世邦楽界全体に多大な影響を与えた常磐津の達人である常磐津 林中。

義太夫の伝説的な達人である3代目竹本 大隅大夫 豊竹 山城少掾 竹本津太夫といった名人。いわゆる音遣いがこの頃の名人は次元が違います。

あるいは明日 待子より更に遡る現代アイドルの源流として考えられております。娘義太夫の達人、豊竹呂昇や竹本 綾之助。

また、新内の達人 岡本 文弥や清元の清元 志壽太夫のように100歳まで全盛期のパフォーマンスを維持したような達人も押さえておきたいところです。

他にもインドのバサンタコキラム、チェンバイ、マハラジャプラム、Tムクタは超人的なグレイスノートのガマカの達人であり、トルコのミュニール・ヌーレッティン・セルチューク、アラブのヒガジー、イラクのラシッドアリクンダリー、エラノスから瞑想のコアとなるメリスマティックスタイルと称されたタハリールのエグバルアザル、コルデスターニなども最高レベルのメリスマティックスタイルの達人です。

また、演劇身体性においては上述いたしましたチャーキャール家の、マニ マーダヴァ チャキャールやアマヌール マーダヴァ チャーキャールはラサ・アビナヤの達人ですし、中国の京劇の達人は異化効果の達人としても知られております。特に四大名旦の梅 蘭芳、程硯秋、尚小雲、荀慧生はクンフー論の上でも超達人です。

バリ島のプリアタン村は達人だらけのバリ島の中でも更にパフォーマンスの達人の村として知られておりますし、カンボジアのプノンペンは、カンボジア内戦前は東南アジア全体の古典の中心地とされておりました。プノンペンのアプサラの達人たちの身体性にはフロートやグライドの典型的なパターンを確認することが出来ます。

バラタナティヤムの達人といたしましては、Tムクタの従姉妹でもあります。バラサラスワティなどが代表的な達人です。
バラタナティヤムの奥義は実はパフォーマンスや瞑想の究極的な奥義へと繋がりうるものですが、この技法に関しましては、また別の機会でお話したいと思います。
モヒニヤッタムやオリッシーなどもこの究極的な奥義を考える上で重要です。



現代日本人が米や味噌汁のような感覚で捉えてきたパフォーマンスはやはり、虎造、 米若、 志ん生ではないでしょうか?

この領域の名人たちも昨今はご存知ない方も増えてきているかと存じます。それはあまりにもったいないことです。ざっくりとではございますが、寄席芸の名人たちも見てゆきたいと思います。

釈迢空などの達人も録音した名盤に自作朗読の世界という録音がございますが、この自作朗読のエロキューションおよびフレージングに影響を与えていたのが都々逸です。そして都々逸と並び最も大衆に影響を与えたのが浪花節なのです。

浪花節の第一世代の達人に桃中軒 雲右衛門、2代目吉田奈良丸、初代京山 小円、京山 若丸、

第二世代には東家楽燕、3代目鼈甲斎 虎丸、初代天中軒 雲月、初代木村重友、

第三世代に2代目広沢 虎造、寿々木 米若、2代目玉川 勝太郎、初代春日井 梅鶯

が代表的な達人です。

他にも三波春夫から究極の浪花節と称され、美空ひばりにも多大な影響を与えた三門博なども達人であります。

特に 虎造節、 米若節が日本人に与えた影響は計り知れないものがあります。

講談では、大島 伯鶴や、虎造に多大な影響を与えたことでも知られております三代目 神田伯山。
大島 伯鶴や三代目 神田伯山と並ぶ名人とされております六代目 一龍斎貞山、このあたりの名人までは節談説教との関連を実感させてくれます。

また、乞胸のアーキタイプとされております胸叩や乞胸のパフォーマンスは講談のみならず、浪花節のルーツでもありますが、乞胸により行われていた辻講釈などとの繋がりもこの頃までの名人には実感することが出来ます。

噺家では、日本人でしたら知っていて当たり前かと存じますが、3大名人、五代目 古今亭 志ん生、六代目 三遊亭 圓生、八代目 桂 文楽を筆頭に三代目 三遊亭 金馬、藤八拳を元にして、柳好節を確立したとされております名人、三代目 春風亭 柳好あたりは必聴かと存じます。

他にも六代目 春風亭 柳橋、四代目 柳家 小さん、八代目 桂 文治、初代柳家 権太楼、七代目 林家 正蔵なども押さえておきたいところかと存じます。

志ん生などの時代の噺家は、宇野重吉がおっしゃるところのたくあん声であり、いわゆるビフテキ声よりも意識変容が起こりやすい、すなわち変性意識になりやすいのです。

昨今の寄席芸や漫才師もビフテキ声になってゆき、エロキューション、身体性や現前性も志ん生の頃とは明らかに変わってきております。そしてこれは単純に好みの問題ではないのです。30万年以上のホモ・サピエンスの瞑想パフォーマンス史の根幹に関わる問題なのです。

これまで紹介いたしました達人や名人を観てゆくことで、瞑想とパフォーマンスが渾然一体となっていた頃の身体感覚、心身のレンジを蘇らせてゆくことを行うことが、今こそ必要な時だと思うのです、、、。

瞑想の歴史と瞑想研究の歴史と

ドイツの民族学者であるアンドレアス・ロンメルやフランスの考古学者であるサロモン・レナックにより瞑想やシャーマニズムは少なくとも3万年以上の歴史があることが解ってきました。

そして、旧石器時代人の瞑想、シャーマニズム、パフォーマンスは超達人の領域の中でも極限の領域であるフォスフェンやエントプティック、フォームコンスタントのアルティメットステージに達していたことが、昨今の神経科学や認知考古学などにより明らかにされてゆきました。


世界各地の奥義的な瞑想法、シャーマニックステーツの態はその発生において旧石器時代のフォスフェン≒エントプティック瞑想を元にして発想されてきたものが殆どです。

フォスフェン≒エントプティック瞑想は、
ヨーガやタントラ、ヴィパッサナー(マインドフルネス)、禅、軟酥の法、内観の秘法、虚空蔵求聞持法、セマー、小周天、大周天、ダークリトリート、ディヴァインスパーク瞑想、メルカバー瞑想、タマフリ瞑想や日想観、鎮魂帰神法、息吹永世、十言神呪、太古神法、マガ、ゼーレンフンク、世界各地の先住民の過換気呼吸や痙攣、しゃっくり、スピーキングインタングスなどによるシャーマニズムなどの様々な瞑想を展開させてゆきます。


瞑想はこれまでに何度もフォスフェン≒エントプティック瞑想から活力を得る形で世界各地で展開されていったのです。

近世から近代には国学や復古神道の思想により古神道がリバイバルされてゆき、

近代インドでもヒンドゥー・ルネサンス運動が起こり古い瞑想のリバイバルが起こります。

西洋においてもブラヴァツキーやリードビーター、クロウリーなどによりグノーシス瞑想やエソテリック瞑想のリバイバルが起こるのです。

瞑想研究はヴィルヘルム・ヴントやウィリアム・ジェームズなどにより行われてゆきました。

こうした研究の流れが後にアメリカのヒッピームーブメントやヒューマン・ポテンシャル運動、エサレン研究所に影響を与えてゆきます。

エサレン研究所からはチクセントミハイと並びゾーン研究の代表的研究者であるマイケル・マーフィーが出てきます。

また、トランスパーソナル心理学や瞑想研究の大家ロジャー・ウォルシュやディーン・シャピロなどもエサレン研究所の流れから登場してくるのです。

一般に本格的な科学的瞑想研究はベンソン法やTM瞑想や禅あるいはマインドフルネスの原型であるヴィパッサナー瞑想を対象に研究されてゆきました。

昨今では瞑想時の頭頂葉の変化を発見したニューバーグが話題になりました。

また、人類学や民俗学からの瞑想研究の流れはオーソドックスな瞑想研究史からは無視されてきた傾向があるかと存じますが、むしろこちらが重要であり、これこそが瞑想の源泉なのです。注目すべきは、エルカ・ブルギニョンやマーガレット・ミードにより瞑想やパフォーマンスの最高レベルの達人が研究されていったことです。エルカ・ブルギニョンは500以上の先住民の瞑想を研究し、90%以上の先住民が超強力な瞑想やゾーン、シャーマニックステーツのテクニックを持っていることを明らかにされたのです。

また、カルロス・カスタネダやマイケル・ハーナーによりネオシャーマニズムも体系化されてゆきます。

そして世界中の全ての瞑想、全てのシャーマニズム、先史瞑想、古代瞑想、がエラノス会議で研究されてゆき、エラノス会議の中心メンバーであったマックス・クノールにより神経科学的光の現象であるフォスフェン≒エントプティックがあらゆる瞑想の核、あらゆるシャーマニズムの核、あらゆるパフォーマンスの核であり、あらゆる瞑想の奥義、あらゆるシャーマニズムの奥義であることも明らかにされてゆくのです。

更にエラノス瞑想理論の神経科学的な研究の基礎であったマックス・クノールのフォスフェン≒エントプティック研究やクリューバーのフォームコンスタント研究は、認知考古学の基礎理論となり、旧石器時代の人類史上最大最強の究極の瞑想の奥義を解き明かしていったのです、、、。

コース一覧

◆P≒E瞑想ホール・神経科学的光の瞑想コース 

世界最高の瞑想理論とされるエラノス理論に基づきました、フォスフェン≒エントプティック瞑想や世界各地の瞑想、シャーマニズム、パフォーマンスにおける変性意識術を学びます。
従来のあらゆる瞑想の源流になる旧石器時代の瞑想を神経科学、認知科学によりブラッシュアップされた究極の瞑想を学んでゆきます。


◆P≒E瞑想ホール・ビジネスパフォーマンスコース

ゾーンを超えたゾーン、超ゾーンを学び、ビジネススキル、ビジネスパフォーマンス能力を根本的に解放してゆきます。世界最高の瞑想理論であるエラノス瞑想理論、総合パフォーマンス理論の聖典である折口芸能学、演劇論の聖典アルトー理論、身体論の聖典ラバンのエフォート理論、発声学の聖典フースラーメソードなどを通して、究極のビジネスパーソンを目指します。


◆P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース

全てのパフォーマンス理論の聖典レベルのメソードを学んでゆきます。
瞑想理論の聖典であるエラノス瞑想理論、総合パフォーマンス理論の聖典である折口芸能学、演劇論の聖典アルトー理論、身体論の聖典ラバンのエフォート理論、発声学の聖典フースラーメソードなどにより、あらゆるパフォーマンスの達人を目指し、舞台、ライブ、ストリートで必要な意識のレンジ、身体性、現前性、発声力を獲得してゆきます。


◆P≒E声優コース

声優、俳優の演劇論、演技論の聖典であるアルトーの理論により体系化された現前性訓練により、声優として現前性、身体性を学んでゆきます。また、ラバンのエフォート理論、メルロポンティやエラノスの現象学的身体論により、身体図式(ボディスキーマ)、ボディイメージを鍛錬し、俳優としての身体性を獲得してゆきます。


◆P≒E演技身体論コース

スタニスラフスキーやリー・ストラスバーグなどによるリアリズム演劇的なパラダイムを解体し、アジアやアフリカの演劇、パフォーマンスに対応可能な自在な現前性、身体性をアルトー演劇論、ラバンのエフォート理論、コレオメトリクス、メルロポンティやエラノスの現象学的身体論から学んでゆきます。また、ワザオギの根本的技法であるポゼッションテクニック(エクスタシーテクニック)が学べる世界唯一の演劇コースになります。


◆P≒Eフースラーメソードコース+P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース(P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコースとのセットでの受講となります。P≒Eフースラーメソードコースのみの受講は致しかねます。)

発声学の聖典、ボイトレの聖典とされるフースラーメソードを学び自由自在なオリジナルネイチャーを発動させてゆきます。
また、一般的にボイストレーニング志望の方は、その他のパフォーマンス要素を軽視している傾向があるかと存じます。従いまして、我が校では、必ず総合パフォーマンスコースとセットでの受講とさせていただきたく存じます。フースラーメソードコースのみの受講は致しかねます。大変恐縮でございますが、ご了承いただきたく存じます。

お問い合わせ

◯ご入会までの流れ

 Zoomによる少人数制瞑想オンラインサロン 時間料金40分 1万円
 ※ご入会後、1コース40分につき月々のお月謝は1万円となります。
(P≒Eフースラーメソードコースのみ、P≒E瞑想ホール総合パフォーマンスコースとのセットでの受講となります。従いましてこちらのコースはお月謝は2万円となります。)


以下のコースよりご希望のコースを選択していただき、下記のメール定型からメールをお送りいただきますようお願い申し上げます。

P≒E瞑想ホール・神経科学的光の瞑想コース
P≒E瞑想ホール・ビジネスパフォーマンスコース
P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース
P≒E声優コース
P≒E演技身体論コース

P≒Eフースラーメソードコース+P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース(P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコースとのセットでの受講となります。P≒Eフースラーメソードコースのみの受講は致しかねます。)


◯基本コース(P≒E瞑想ホール・神経科学的光の瞑想コース)で学べる主な瞑想メニュー
・フォスフェン≒エントプティック発動の基礎(神経科学的光の瞑想)
・エラノス瞑想理論
・悟り、サマーディの原型シード発動の瞑想からその精度アップ
・様々な神経伝達物質を放出させる超ゾーンの基本9タイプ
・現前性(存在感)の基礎から応用
・フォスフェン≒エントプティックのステージ1~ステージ3
・アルティメット超ゾーン発動の瞑想
・石器時代の瞑想究極奥義!角度37度の瞑想技法
・世界各地の変性意識テクニックと古今東西の瞑想  等々


当オンラインサロンは、完全会員制となり、Zoomによる少人数制のオンラインサロンとなります。(一部のコースはSkypeになっております。)
武田梵声の著書をお読みになった方(『神経科学的光の瞑想~世界最高のエラノス理論で超ゾーンを実現する~』は全てのコース受講者のための必読書となります。)で長期継続をご希望なさる方が入会可能なオンラインサロンとなります。
また、相性があわず、ご意向にそぐわないとご判断された場合は退会していただいて問題ございませんが、
著書をお読みになり、継続のご意志の高い方にご入会いただきたく存じます。恐れいりますが、お含みおきいただきたく存じます。
また、当研究所は敬語や礼儀のご配慮をお願い申し上げております。
言葉に対する鋭敏な感覚はビジネスパーソンの方は元より、パフォーマー、瞑想者の学びの上でも重要かと存じます。
ご承知おきくださいますようお願い申し上げます。
また、礼儀や敬語が苦手な方もいらっしゃるかと存じます。
そこで当研究所では、定型をご用意しておりますので、どなた様も無理なく始められるかと存じます。

上記をご承知いただいた上で、入会をご希望なさる方は以下の定型にてメールをお送りいただきますようお願い申し上げます。
また、以下の定型以外の内容のメッセージは勝手を申し上げますが、ご遠慮いただきたく存じます。
また、実技に関してのメールでのご質問は恐れいりますが、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます。
事務的なご質問は以下の定型をお送りいただいた後にこちらから、詳細なルールをお送りさせていただきますので、その後でしたら問題ございません。
また、詳細なルールのご確認後の段階で当研究所と相性があわず、ご意向にそぐわないとご判断された場合はメールのご返信は不要とさせていただきますので、その段階で入会のキャンセルは可能となります。

(また、オルフェの会員様でP≒E瞑想ホールにご入会希望の方に関しましては、スケジュール調整の際に以下のメール定型をSkypeメッセージでお送りいただきたく存じます。)



▲メール定型の解説▲

初めてご連絡させていただきます。
●●(ご入会希望者様のお名前)と申します。

P≒E瞑想ホールへの入会を希望いたします。

※ご希望のコースをご記載くださいますようお願い申し上げます。コースは以下から選択いただきたく存じます。コース名は正確にご記入いただきますようお願い申し上げます。

P≒E瞑想ホール・神経科学的光の瞑想コース
P≒E瞑想ホール・ビジネスパフォーマンスコース
P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース
P≒E声優コース
P≒E演技身体論コース
P≒Eフースラーメソードコース+P≒E瞑想ホール・総合パフォーマンスコース(総合パフォーマンスコースとのセット受講になります。P≒Eフースラーメソードコースのみの受講は致しかねます。)

●●●●●●コースを希望いたします。

ご入会希望者様のメールアドレス
●●●●●●●●●●●●●●

~ご希望の日時を5日以上各3時間以上いただきたく存じます。
(各月の中旬以降でお願いしたく存じますが、毎月6日~30日、31日までの14時~22時までがオンラインサロンの開講時間となります。)
また、候補日時が5日以下の場合、恐れいりますが稽古受講をお断りさせていただく場合がございます。あらかじめご了承いただきますようお願い申し上げます。
以下は日にちや時間を増やしていただくことは問題ございません。~
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで

よろしくお願い申し上げます。



▲メール定型▲

初めてご連絡させていただきます。
●●と申します。
P≒E瞑想ホールへの入会を希望いたします。

●●●●●●コースを希望いたします。

メールアドレス
●●●●●●●●●●●●●●

●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで
●月●日●時~●時まで

よろしくお願い申し上げます。


上記のメール定型で文章をご作成いただき、
bonjyou88@yahoo.co.jp
までお送りいただきますようお願い申し上げます。

よろしくお願い申し上げます。

メールをご確認させていただき、再度こちらから詳細なオンラインサロンのルールなどをお知らせいたします。(メールをお送りいたします。)
こちらをご了承いただき、ご入会受付を完了とさせていただきたく存じます。

よろしくお願い申し上げます。


また、安全面を考慮の末、大変恐縮でございますが、以下の方の入会はご遠慮いただいております。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
重度な精神疾患のある方
基礎疾患のある方
オンラインサロンの性質上、恐れいりますが、ご了承いただきますようお願い申し上げます。
 

出版社様、マスコミ・メディア関係者様、出演、執筆依頼は恐れいりますが、こちらにメールをお願いいたします。

bonjyou88@yahoo.co.jp

よろしくお願い申し上げます

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